同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 時間の創造 —

「聖なる方は仰せられる。目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。」(イザヤ書 40:25)
「このわたしが地を造り、その上に人間を創造した。わたしはわたしの手で天を引き延べ、その万象に命じた。・・・天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、すなわちこれを堅く立てた方、これを茫漠としたものに創造せず、人の住みかにこれを形造った方、まことに、この主がこう仰せられる。『わたしが主である。ほかにはいない。』」(イザヤ書 45:12、18)

 「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記 1:1)これが聖書の書き出しであり、神が天地の創造者であることが、聖書の一貫した主張です。この創造の実行者は、御子イエスご自身であったことが記されています。またすべてのものが、御子の手によって維持されていることが記されています。「万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」(コロサイ 1:16-17)
 神が創造されたことについて異論はなくとも、その内容については、正統的な信仰の立場に立っている人々のあいだでも、種々の意見が出、それにこだわると不毛の議論が続きます。
 表題に掲げた「時間」の問題の議論の対象となるのは、神が創造のために用いられた時間はどれだけであったかということに起因します。
「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。」(創世記 1:31-2:3)
「六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。・・それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」(出エジプト記 20:9-11)
神が創造に用いられた時間は六日であることを否定すると、安息日を聖としなさいと命じられているその命令の根拠が揺らぎます。
 創造に関する種々の見解を考え直して見ると、多くの方々が、「時間」を永遠の昔から変わらない存在と考えていることが分かります。しかし、この「時間」も、天地の創造に付随して創造されたものであることは、大変重要な意味をもっています。時間の創造ということが真に理解できると、皆さんがもっておられる創造に関する感覚が変わることでしょう。きっと皆さんも多くの神学者たちと同様に、神は永遠に不変の時間軸の中で創造をされたと考え、創造の問題をその視点に立って考えておられるのではありませんか。順序が逆で、神は時間そのものを創造されたのですから、創造にどれだけの時間がかかるのかは問題にならないことに気づく必要があります。
 自然科学と呼ばれる領域の事柄は、神は私たちが目にしているこの地球、宇宙を造られたが、その神が創造されたこの地球、宇宙を「今の時点で調べると、このようになっている」ということなのです。
 自然の現象がどれだけの時間で進行するかもまた神の創造の業なのです。一例をあげれば、私たちがいつも目にしている「物が燃える」現象にかかる時間を考えてみましょう。炊事のためガスに点火すると、ガスが燃えます。その事象の速度は目で確かめられます。それはガスに空気中の酸素が結合する現象です。鉄が錆びるのも空気中の酸素が鉄に結合する現象であって、ガスが燃えるのと同一のことです。鉄の燃える(錆びる)速度は遅く、目で見ていても分からないくらいです。けれどもある一定の時間が経ってみると鉄が錆びてその現象が進行していることがわかります。都市ガスの燃える速度、鉄の錆びる速度、これらは神がそのように定められたからにほかなりません。神はそれを逆転させることもおできになるのです。
 これを創造された方は、この自然現象の起こる速度に制限されたりしません。ものごとの進む速さは神にとっては問題でないのです。神がそれをお決めになったのです。御子が天地を維持しておられるということは、今もはじめの創造の時と同様に、この地球、宇宙の事柄に神は対処しておられることを意味しています。

「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(II ペテロ 3:8)

 「神が時間を創造された」ことをしっかり理解すると、先に不毛の議論と述べたことの多くが不要となるでしょう。
 子供たちは、創造を信じない人々の議論特に学校の先生たちや友人たちの議論に曝されます。親である私たちは、神が創造されたことをしっかりと把握していて、子供たちに教えている必要があります。神が時間を創造されたことは、彼らが持ち出す多くの質問の回答になるでしょう。

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