同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 主の御前にへりくだって —

森田 初実

「あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」(ヤコブ 4:9-10)

 上記の御言葉は、去年の暮れに与えられたみことばです。今年の御言葉もすでに与えられていますが、今年になってからこの去年のみことばが、私の日々の生活の中に常に思い浮かぶみことばとなっています。
 今年もいくつかの課題が与えられまして、祈ることでありますが、課題に取り組み、そして神の御こころは何であるかを悟りたいと思う時に、神はいかに牧師先生ご夫妻をはじめ、私のまわりの方々の祈りを通して大いなる愛で支えていて下さり、恵みと励ましをもって立たせていてくださっているかということに心から感謝しています。
 しかし私自身罪深き人間です。私は唯神からの愛やあわれみをいただくだけではなく、私のために陰で祈ってくださる方々を思う時に、私が神からいただく愛をお返ししたいと思うことであります。私のような罪深い者を神はイエス・キリストの十字架によってあがない、買い取って下さいました。
 礼拝でのメッセージでも語られています。神の前にへりくだりなさい、と。それが真の謙遜です、と。私は上記の御言葉が与えられまして、私の罪の深さに苦しみます。悲しくなります。そして涙がとまらなくなります。そして、私自身の足りないところは、神のみ前に心からへりくだるという姿勢です。しかし、私は今、この御言葉とともに私自身を神の前にあけわたす時、神が私を育んで下さっておられることに気づきこころから感謝しています。
 確かに歩みのおそい者です。しかし私は私を育んでくださる神に喜んでいただきたく、私はこのさいわいな道を私の愛する子供たちにきちんと伝えることが私の神からの召しと信じております。
 私たちの教会での礼拝メッセージでは、そのところが赤裸々に語られています。愛する子供たちを救いへ導くことが神から私への召しと信じて立つ時に、私は神の前にへりくだりをもって御旨をおうかがいし、その御旨を信じて神とともに子供たちとの取り組みをさせていただき、私のために愛し祈ってくださる方々を覚えて神と育みをさせていただきたいと願い祈るものです。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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