同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

私にとっての宣教

石井 和幸

「イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に『女の方。そこに、あなたの息子がいます。』と言われた。それからその弟子に『そこに、あなたの母がいます』と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。」 (ヨハネ19:26-27)

3月11日 午後2時46分、私は会社の近くを車で走っていました。携帯電話から警報が鳴り響き、(こんな忙しい時に、誰からメールだろう)と思った矢先、地面が揺れ出しました。(緊急地震速報か!) ハザードを出して停車しました。そのうち、建物や電柱がバネのように曲がって見えました。(これは普通の地震ではない)と思った私は、車の前に電柱があったので、(ここで死ぬわけにはいかない)と思い、周囲を確認して車を離れ、近くの店舗の駐車場で腰を下ろしました。建物が倒れてこないだろうか、危険な所を人が歩いていないだろうか・・・周りを見回しながら揺れが止まるのを待ちました。 揺れが止まり、会社や自宅に電話しましたが一切つながりません。信号機も止まりました。 車で会社に戻り、自転車を借りて自宅に向かいました。つい午前中に退院したばかりの妻、2歳の娘は無事だろうか?・・・心で祈りながら自転車をこぎました。
 娘は妻に抱きかかえられ、余震が続くなか、大泣きしていました。家族の無事を確認した後、隣の教会の階段を駆け上がり、先生方に報告をし、安否を問いました。 それから、停電の中、便宜を図って営業を続けていたコンビニへ買い出しにいきました。次の日も朝から自転車で買い出しに行きました。営業している店はコンビニだけです。長い時間、並んでもカップラーメン1人1個しか買えない店もあり、7人家族の私はなんとか限定販売されていない店を探しました。教会の先生方と随時情報交換をしたり、食料等を分かち合いました。「あそこの店で○○を売っている」とわざわざ教会の子どもたちが随時教えてくれました。 また、山形の義父母や親戚、友人が、早速米や食料を仙台まで運んで来て下さり、教会の先生方とともに感謝をしました。
 「自分は今、何をすべきか」・・・地震発生後、常に私自身に問われた課題でありました。テレビやラジオで情報を知ったり、知人の安否や被害が明らかになる中で、何をすることが最善なのか、正論が3つも4つもある中で、何を優先すべきなのか、本当に祈らされ、考えさせられました。
 まず、自らの子どもに余計な不安を与えないことに取り組みました。娘は、家族の笑顔を見たいがために、明るく振舞っていました。「おじいちゃん楽しかった?」「おばあちゃん楽しかった?」 「おとうさん楽しかった?」そこにいる人全員の意思を確認していました。そして、特に教会の方々が震災の中生活が守られるように祈り、取り組みました。また、普段メールでしか交わりをしていない知人に、物資を届けたり、情報を提供したり、励ましあったり・・・ということもありました。こうして震災から半月以上が経過しましたが、思い返してみると、ここまで私が接点をもち、連絡をとりあった方々は、私にとって、福音宣教の対象であり、祈っていくべき方々であることを覚えました。多くの人のお祈りと支援に、心から感謝しております。
 私はかつて、ある教会の牧師から、これから学生伝道を目指す教会に対して、自分が学生伝道に携わった証しを書いてほしい・・・と依頼を受けました。私は、学生向けの伝道会を企画し、多くのビラを配り、教会に誘うことは大切なことですが、同時に、1人、2人の若者と喜び、涙、労苦をともにする覚悟、備えが必要であることを証しさせていただきました。復興が進み、元の生活に戻れば、何事もなかったかのように年月が流れて行きますが、今回目にした被災地の光景、多くの人の痛み、そして、自らに与えられた祈りと宣教の使命を忘れることなく、これからの生涯を教会と、愛する方々とともに歩み出したく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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