同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 災害に学ぶ —

「シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」(ルカ 13:4-5)

 教会で育った若者たちに語りたいと思います。東北関東大震災と津波、そしてそれが原因で発生した福島の原子力発電所の事故のため日本中が混乱しています。被災地は目を覆いたくなる惨状であって、その映像がテレビ等の報道で届けられています。あまりの出来事に私たちは語ることばを失います。最近まですぐ近くにいても現場まで行ってみることはできませんでした。なおガソリン不足などがあり、行動は制限されていますし、経済活動もすっかり停滞し、ゼネストをやっているかのごとく店も工場も閉まっていますし、水をもらうため、食料を買うためなどに、長い行列ができました。 
 これは一体なんだろうか、なぜこのようなことが起きるのだろうか、といった声も聞こえてこないわけではありません。すべてのできごとは、偶然によるのではなく、神の許しのもとに起きるのですから、神はなぜこのようなことが起きるのを許されるのであろうか、というように疑問が展開されます。私たちは神のなさることの理由を全部知ることはできません。神の知恵は私たちに勝り、神のお計らいは私たちの思いを越えます。私たちはなぜ神がそのようにお計らいになるのかわかりません。神が私たちに備えてくださっているものは、この世のすべての問題や労苦から私たちを解放することではありません。そう願うのは、イエスがなさったわずかなパンと魚で多くの人々が食した奇跡を見て、イエスを自分たちの王とし、いつもその奇跡を行ってもらいたいと思った、イスラエルの人々と同列になります。
 神が私たちに備えてくださったものは、御子イエスの十字架の死による贖いでした。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ 3:16)
 今年の教会暦では、4月17日から受難週、4月24日がイースターです。神はその独り子を十字架につけるという代価を払って私たちに救いを準備され、「信じなさい」と迫っておられます。それとともに、これらの災害をお見せになり、「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」と警告なさっています。
 私たちは、その警告の前に素直になりましょう。自分の内に罪があることを知りつつ、先生のもと行ってそれを言い表し、祈って頂くなら救われることを知りつつ、その時を先送りしている人たちが、これらの災害を見て、知恵のあるものとして行動してくれることを願ってやみません。

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