同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 神の愛を悟った震災時のできごと —

森田 心

「風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。」(マルコ 12:44)

 3月11日の震災を経て、早や1ヶ月が過ぎました。まだその苦しみの中に在る方々を近くに憶えながら、この出来事の大きさを深く感じさせられます。
 私は職場が被害を受け、それは一時的なものだけではなく、この先にも続くダメージを受けました。
 震災の後、何をすればいいだろうかと考えました。そして、被災した関係者達へ食糧を運んでいこうと思いました。しかし、電気、ガス、水道とライフラインガ途絶えている現状の中で、一人ではどうすることも出来ず、婦人伝道師に協力をお願いしたところ快く受け入れて下さり、次の日に用意されていたものは、私が願ったものよりもはるかに多いものでした。そして次の日も次の日もその量はどんどん増えていきました。震災後で食糧を買い求めたくても、とても困難な状況であって、3時間~5時間並んでやっと一人数点と限定された商品しか買うことのできない、先の見えない不安な中にあった時でした。むしろ自分が買いだめしておきたい状況の中で、師が提供し続けて下さったっことに対して、私は嬉しかったというよりも驚きでした。普通は協力する側の人のすることは、求めた人の思いの丈まで届かないもので、願ったことにほど近くあれば十分といって、いいはずです。しかし師の準備してくださったものは私の思いより大きかったのです。私は逆に師の願いに対して、いつも充分であっただろうかと思いました。その思いを捉えて働いていただろうかと。確かなことは願われたこと以上に心をそこにおくことまでは出来ませんでした。
 本当に苦しい時に師を通して神様の愛の深さを知ることが出来ました。この事から得というものが生まれない事の中にも、私の願いのために注いで下さったものは、教会という家族への愛であったことを強く感じさせられました。まだまだ困難と思える事は目の前にたくさんあります。けれども、この時でなければ受け取れなかったかも知れないものをいただくことが出来ました。この時こそ福音の時であり、自らもそこに生きる者でありたいと願います。

「あなたのパンを水の上に投げよ。
 ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」(伝道者の書 1:1)
「あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。」
(マタイ 5:41)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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