同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第69回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

3. 新約における三つの職務の考察(つづき)
3.1 新約の祭司(つづき)

 「兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
 ・・・そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」(ヘブル 10:19-22)
 聖所に入る人は祭司、至聖所に入るひとは大祭司です。イエスは私たちにとって生ける道となり、私たちを祭司に任じられました。上記のみことばによって、私たちはその信仰をもって聖所、至聖所に入り、神に近づくようにと勧められています。
ヘブル人への手紙の記者はこうつづけます。動揺しないでしっかり希望を告白し、互いに勧めあって愛と善行を促すよう注意し合おうではないか。そしてそこからはずれて、罪を犯し続ける人々への厳しい警告が語られています。苦難があっても忍耐した先人を思い起こし、私たちも忍耐しよう。約束のものを手に入れるために必要なものは「忍耐」です。と。その忍耐の中に義人の信仰があることが示されています。
 そして、この聖所、至聖所に入る人々がもっていなければならない「信仰」が、先人たちの実例を挙げながら語られています。
 信仰はどのような働きをするのでしょう。それは「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル 11:1)です。
 その実例として、アベル、エノク、ナ、アブラハム、サラ、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ラハブ、・・・といった人物とその信仰によって得たもの、彼らの信仰がどのような働きをしたかが記されています。
 「この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル 11:42-12:1)
 信仰がどのような働きをするか見せてくれた証人たちは、約束のものを得なかったけれども、私たちはその本物の「約束のもの」を与えられていること、それらの証人たちを見て私たちも「忍耐」をもって私たちの前にある道を進んでゆくように、そこには重荷とまつわりつく罪があるから、忍耐をもって重荷を負い、罪をすてること、それこそが信仰の人々に倣うことであると語っています。
 この「重荷」と「まつわりつく罪」とは、神が私たちを完成に導くために置かれているのです。
 「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。」(ヘブル 12:10-13)
 平安な義の実は忍耐の中にあるのです。
 ヘブル人への手紙13章に、「兄弟愛」から始めて、旅人をもてなし、牢にいるものをおもいやり、結婚を尊び、不品行を避け、金銭を愛さず、指導者に従うようにと、イエスのあとに従うものが生活上心がけるべきことがらが記されています。
 「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」
(ヘブル 13:7-8)
 指導者たちの信仰に倣いなさい。イエス・キリストは永遠に変わることがないお方ですから、と勧めがつづきます。
 「私たちには一つの祭壇があります。幕屋で仕える者たちには、この祭壇から食べる権利がありません。動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」(ヘブル 13:10-13)
 イエスは、旧約の示しているところに従って苦しみを受けたのですから、私たちもイエスと同じに苦しみを受け、祭司の勤めをさせていただくようにと結ばれます。
 私たちは、忍耐をもって苦難を忍びイエスに従って祭司の勤めをさせていただこうではありませんか。

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

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