同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 試練の中にあっても —

茶谷 起与志

「あなたの神、主が、この40年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。」(申命記8:2)

 無我夢中で走って、自分の人生を振り返ってみましたら、いつの間にか50代という年齢になっておりました。年齢だけはどんどん積み重なっていくのにクリスチャンとして成長しているのかと問われると返答もできないような、全く歩みの遅い、心もとない弱い者であります。

 高校卒業と同時に父の経営するメッキ工場に就職し、家業を継ぎました。家庭の事情でと納得しながら、しかし一方では大学進学をあきらめきれず、むりやりに背負わされた十字架、という思いがずっと続きました。ストレスから体調不良を抱えての20代であったと思います。
 そんな24歳の時、仙台教会から現在の家内(優子さん)との結婚が与えられ、今年で満30年を迎えようとしています。私が神様から贈られた最高のプレゼントだと本当に感謝しております。家内を思う時、私と結婚することが、本当に幸せだったのかな、と思ったこともありました。
 結婚して10年後に、父の勧めもありましたが、自らの意思においてメッキ業から現在の金属バフ研磨業に転業して今年で満20年になります。家業の経営の苦労も彼女は、結婚とともに背負い込んだと思います。しかし、私の心配もどこ吹く風、、、のごとく、いつのまにかたくましく、堂々と我家の大黒柱となっていきました。そして多くの山坂もありましたが、家族6人皆健康もまもられ現在に至っております。

 一昨年、今まで元気だった父が原因不明の病状で長くあちこちの病院に入院し、一時退院しましたが、11月にきわどい所でいいお医者さんが与えられ、人工肛門の手術を受けることになりました。その1週間後、母が大腿骨を骨折してしまいました。やはり手術が必要で、私たち家族にとりまして最大の試練であったと思います。仕事の後、2つの病院を掛け持ちして見舞うことが毎日続きました。肉体的に精神的にぎりぎりで、「神様、どうぞ助けてください。」と病院へ行く車の中で何度となく祈りました。
 でも、高齢の父母がその病床での苦しみの様子、戦っている姿を見る時に、自分もしっかりしなければ、と励まされました。こうした中で、病気の方のつらさや人間が年老いていくことの寂しさ、悲しさを感じると共に、また多くの方のお祈りや励まし、心使い、そうした人間の優しさにふれたり、言葉では言い表せない多くのことを学ばせて頂きました。
 そんなある日の礼拝で、会衆賛美で賛美歌476番「救い主イェスと」をICレコーダーに録音したので、手術の前日にその賛美歌をイヤホンで聴かせてあげました。そうすると、母は痛みにこらえながら、もうろうとした中で一緒に歌い始めました。「救い主イェスともにゆく身は、乏しきことなくおそれもあらじ、イェスはやすきもてこころたらわせ、ものごとすべてをよきになしたもう。ものごとすべてをよきになしたもう。」一生懸命に歌っている姿に涙が止まらなくなりました。そして翌日は、父のところで同じ賛美歌を聴かせました。そうしたら大きい声で母と同じように歌いだしたのです。からだのあちこちに管を差しながらも嬉しそうでした。帰りの車のなかでも涙が止まりませんでした。その姿を見ているのはつらいけど、なんと幸いなことでしょう。父母にはエホバの神がついていてくださるんだ。その信仰はしっかりと神様とつながっているんだ。たとえ病床の苦しい中にあっても信仰の勝利者としてこの世を全うしたい。と本当に感動し、忘れることのできない出来事になりました。
 そして父は昨年1月、母は2月に退院いたしました。高齢のため体は不自由もありますが、二人とも今も元気に生活いたしております。

 そんな出来事の後、3月11日に東日本大震災がありました。信じられない、本当に1000年に一度といわれる大災害に言葉を失いました。多くの被災された方のことを思うと胸が締め付けられる思いです。
 家内の父も長男夫婦と仙台より南の亘理郡山元町に住んでおりましたが、今回の津波で一階部分全て浸水し、家を手放し、多くのものを失いました。家内の父は近所のかたの機転で助かりましたが、2か月の避難所生活を強いられました。今は仙台市内で穏やかな生活をいたしております。家内も仙台の父がどんなに心配で気がかりだったでしょう。すぐにでも行きたかったでしょう。けれども、茶谷の父母を献身的に支え、事業やいろいろな責任の中で全く時間の取れない現実の中にあって、忍耐と冷静と祈りをもってこのことと向き合うしかありませんでした。

 これから残された人生の中にあってもきっといろいろな苦難、試練、忍耐が待ち受けていることでしょう。生きている限りはその連続でありましょう。そうした中にあっても信仰を失わず、神の命令を守る、御心に従う者でありたいと思います。

石井謙悟

(荒川聖泉キリスト教会 会員)

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