同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 従順に生きる幸い —

石井 ミワ

「しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ4:6-7)

 以前コンピュータ関連の会社勤めをしていた頃、上司に叱られることが度々ありました。その時は、「自分よりコンピュータを扱う知識がないこの人から、どうしてこんなことを言われるのだろう?」と不満に思い、同僚と愚痴を言い合っていました。今思えば、言われたことを良くかみ砕くこともせず、ただ「一生懸命できるだけのことをやっていたのに、コンピュータの性能を上司が理解しないせいで怒られた」と、責任転嫁の上に自分を変えようとはせず、不満を口に出していたように思います。その頑固さ、この世から得た知恵を正しいとしてしまう愚かさ、何より自分を正しいとしてしまっている愚かさは、教会の中でも自分でも気づかないうちに現れていました。「先生はどうして自分の言葉を聞いてくださらないのだろう?」というつぶやきを心の中でしていましたし、先生の言葉に信じて従うということができていませんでした。
 数年前、結婚した時に、主人から「僕たちの家庭は神と教会に従っていく家庭にしよう」と言われ、私もそうでありたいと願いました。ただ、そう覚悟を決めた中でも「あの本にはこう書いてあった」「聞いた話ではこうだった」と、自分が得たこの世の知恵を真理だと思い違いをし、聖書にはどう書いてあるのか、神の御旨は何なのかを吟味せずにそちらに流れてしまう自分自身もいました。  そんな中、子育ての最中でしたが、婦人伝道師の先生から「あなたは、本や友人の言葉をはじめとして、この世の知恵に頼っているところがあります。もっと神が何を求めておられるのか、良く聞きなさい。わからないならば先生や先輩に聞いて、黙って従ってみなさい。」という勧めをいただきました。周囲に情報が溢れる中、ただ黙って従うということはなかなかに難題ではありましたが、やってみてわかったことがありました。神が共にいてくださる平安がそこにあり、焦りが消え、課題が見えてきました。自分が何をしなければならないのか、家庭集会の中で教えて頂いたり、また、先輩方の話をお聞きしながら気づかせていただいたりしました。従ってみて初めて、従うことが喜びだということがわかってきたように思います。
 娘はすくすくと大きくなり、本当に教会の中で育てていただいていることを感じます。もし私がこの世の知恵にばかり頼ったままだったらと思うと、怖くなります。まだまだ足りなさや弱さを覚える者ですし、課題も多くありますが、続けて神の前に従って歩む者でありたいと願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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