同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 家庭集会 —

茂永 進

「謙遜と柔和の限りを尽くし寛容を示し愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」(エペソ人への手紙 4:2-3)

 私の家庭では、月に一度山本嘉納先生ご夫妻と二女の更さんを招いて家庭集会を持たせていただいています。結婚して間もなく始まったこの集会も12年を過ぎようとしています。私たちに続いて結婚された2組のご家庭もそれぞれ家庭集会を持たれています。とても幸いなことです。家庭集会では、リラックスした雰囲気の中、家庭内の出来事や社会生活、教会内の近況等の話題について会話をしながら、私たちの家庭に必要なお勧めが嘉納先生ご夫妻からなされます。子育て、同居している母との関わり、教会の働きにおける私たち夫婦への期待等、とても大切なクリスチャンの家庭建設の学びの時となっています。
また、娘の頼子も更さんを通して隣人を愛する心を少しずつ養ってきているようです。更さんの喜んでいること、悲しんでいることを自分のことのように話してくれる時があるのです。これはクリスチャンとしての人生を生きるとき本当に大切にしなければならない価値観です。このような娘の心の営みを、親としてこれからも捉え続けていきたいと思います。
私は会計事務所に勤めていますが、担当している会社でとても考えさせられる出来事がありました。石巻市の中堅規模の水産会社で事業継承が行われました。裸一貫で築き上げた先代の社長夫婦が、息子夫婦に経営を譲ったのです。しかし、息子は親を反面教師とし、先代の社長の経営を真っ向から否定し、敬うこともありません。その嫁である社長夫人も舅姑の両方の悪口を日常的に言い放っているのです。当然、先代の社長も孫である息子夫婦の子供たちを愛することもないのです。どんなに社会的な地位と豊かな財を築いても一番近くにあるはずの家族が不仲で、愛の交流が無い寂しい晩年を送るようになってしまったのです。世の中の出来事とすれば日常茶飯事のことなのかもしれませんが、本当に愚かしい人間の現実の姿です。
最近の家庭集会で、年を重ねていく親との家庭生活について話題になりました。年を取ってくるときに現実となってくる弱さ(体の不調、行動力の減退、自己中心、我儘等)が見えてきたときに、どのように向き合っていくのか。弱さを抱えつつも信仰者としての地上の生涯を幸いなものとして終われるように支え続けていけるのか。夫婦の関係、息子と母の関係、嫁姑の関係を良好なものとして続けていくには、クリスチャンの家庭建設を夫婦だけでなくその親も共に関わって築いていかなければならないということ。私たち夫婦にとって真剣に向き合う課題として示されたことでした。信仰の結実に向かって、なお真摯に取り組まさせて頂きます。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

Valid XHTML 1.0 Strict