同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 主に従いとおす —

齊藤 望

「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ人への手紙3:13-14)

 この御言葉によって歩みだした今年も早くも三か月を過ぎようとしています。
昨年は御言葉により実行することを念頭に置いての一年でした。新規に事業が始まり、手探りの中でありましたが導かれ一年を迎えることが出来、感謝いたします。
 長い間、礼拝や諸集会を守ることの戦いの中にありましたが、解放を与えられ喜んでおります。しかし問題がすべてなくなったわけではなく、むしろ多くの問題、課題の中に今なお居るような状態です。
 主に従って生きることが私に与えられた道であることは20代の頃より確信していましたが、その道のりは決して平たんなものではなく曲がりくねった山道を歩くようなものでした。その時々に試練と苦しみと祝福と感謝があり、祈りながら待ち望み、与えられた導きに喜び憩うことでした。
 なぜ自分はこんなに苦しいのだろうか、この人生の選択でよいのだろうかと幾度も思い悩みました、その時に立ち返るところが結婚することが出来たときのことです。その時の経緯は、20半ば家業の方針の相違から父と争いになり結果的には家を出され、もう一度自分の人生をやり直すんだという思いでアルバイトをしながら通信制の短大に通っていました。そんな中でも多くの不安があり将来の希望が縮みかけていた時に、自分には助け手となる人が必要だと思い山本光明先生に結婚の相談に行きました。その時に勧められたのが今の家内です。
当時は学校に通いアルバイトで貯金などなく一般的に考えたら結婚など考えられるような状態ではありませんでしたが彼女の両親は未信者でしたが教会の先生方や仲介者の教会の先輩方の信仰を見て嫁に出すことを決意し委ねたのでした。私は喜び感謝いたしました。
ここに主のご計画があり、そのために今までの出来事があったのだと思い、主に感謝したことでした。この結婚の出来事を通じて多くの事柄が動かされ、主の御手の業を感じることが出来ました。順境の中にあるときに動かずかえって逆境の中で大きく動いたことに神の祝福を感じています。主の御手の働きは私たちの思うようなところだけではなくすべてを見通しておられ、すべてをよいところに導いてくださると確信しております。
 私たちの歩みは日々戦いの中にあります、何を守るために戦うのかをはっきりとしていなければ戦いは虚しいものになると思います。私の守るべきものは主に従いとおす自分と、同じ信仰に生きる家族です。子供たちも成長し社会に出て同じように戦っています。私たちも子供たちが主に従いとおすことのできるように祈るとともに彼らの自由意志が罪の働く機会にならないように見守っていきたいです。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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