同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 週ごとのメッセージに支えられて —

玉城 春恵

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。」
(ローマ 5:1-2)

 聖泉教会に導かれて、2年半。毎週牧師先生を通してメッセージを頂いていますことを感謝しています。
 このことがなければ、自分はすぐにまちがった方向に行きやすいものであることを覚えますし、結婚、家庭、長男が与えられて1歳をむかえてと、その一つ一つを感謝とともに、自分がどういうところから救われて、今この取り組みの中に加えさせて頂けているか、ただただ主の恵みであることを忘れずに進ませて頂きたく思っています。
 イザヤ書を通して正否の追求ということをメッセージで語られています。その中で先日神の摂理を受け入れ、決定し従っていくこと、神のご所望ならば従いますと自分自身が言えるかどうかが大切であることを教えて頂きました。そして主のご所望ならばと決意、決定をもって従っていくなら必ず事は動く、働かれると語られたメッセ-じに、なお力を頂き、自分自身が目指すところがどこなのか、もう一度再確認させられたことであります。
 聖泉教会が信仰継承、教会建設という大きな変わることのない指針をかかげ、先に歩まれている先輩方がそのことがなされるために真摯に取り組んでいる中で、なお私自身も同じ思いをもって取組、私達の家庭に与えられた長男への信仰継承、この子にも神の摂理を受け入れ、神に従って歩む者となってほしいと思いました。まだ一歳になったばかりの息子ですが、自己主張が強く、私達親の顔色をよくうかがいます。
 特に叱った後は、”うん、うん”と笑いかけ、私の機嫌をとろうとしたりもします。小さいながらに考えているなあと思わされます。長男に先を越されないよう、私自身神から知恵と愛を頂き、この子が神に喜ばれる子へと成長していくことを願いながら、長男と関わっていきたく思います。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」
マタイの福音書7章21節

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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