同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 教会学校教師にさせて頂いて —

齋藤 恵一

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28-30)

 私は今年の1月の教会総会に於いて教会学校の教師の任命を受けました。そして高校生のクラスを担当しています。生徒達に何をどう伝えるべきか、どう教えたらいいだろうかを探りながらではありますけれども、務めをさせていただいています。
 私達の教会学校はもう長く、1年の半分は聖書を中心に学びの時を持ち、あとの半分は劇を通して1つのテーマを学び取りながら作り上げて、その劇を春の伝道集会の時と12月のクリスマス祝会の時に発表させていただく形を続けさせていただいています。 ちょうど今、4月の伝道集会に向けてのGEMSの劇の練習の最中です。ここ数年前からは「イエス・キリストの御生涯」と題して降誕劇からはじまり、いよいよ今回が最後の十字架と復活の所となります。場面1つ1つが大切な所であり、1人1人力が入って練習に取り組んでいます。
 私は3年前に教師になって、この劇の一員となって共に取り組むようになりました。そうしてその中に入ってみると、長く大切にして取り組んできた形を見ることが出来ました。劇は聖書の出来事を現わすことによって良き福音の時であることは確かですが、何よりも2か月あまりの時間をかけて作り上げていく過程の中に教会の大切な営みがあることがわかります。
 脚本もすべて完璧に作り上げられているのではなく、役に当たった者達が、それぞれ考えながらセリフを完成させていきます。それをまとめる監督の役目をはたす責任者も教師ではなく生徒の中からその働きに当たらせています。教師が指示を与え作り上げていくのではなく彼等自身の中からイエス・キリストの存在を感じさせ近づくことを教え探りながら作り上げていきます。ですから本当に遠回りをしているかのように多くの時間が必要となってきます。
 でも近道をあえて通らないのは、その大切さを知る方々が、背後にあってそれを支えておられるからです。何よりも演じる彼等の救いへの道を信じてこの働きは長く続けられてきています。イエス・キリストが弟子達に語った言葉を彼等は練習の中で幾度も幾度も声に出して語っていく内に、その御聖句が彼等の心の中にしみこんでいくように入っていく為に、そして確かにたましいの成長と養いがあることを、先を歩んだ方々は信じて取り組みをしています。私も一緒に夢中になってやっています。この劇は10年以上も続けられて来ましたけれども、私も最後の方にGEMSの一員に加えられたことはとても感謝なことだと思っています。そしてさらに教会学校の教師としての役割の大切さと重さを感じつつ励んでいきたいと願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)