同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 弱さと戦う —

石井 行雄

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ 3:13)

 最近祈祷会に行く車の中で「人を赦せない心、これが自分の罪なんだよ。」ぽつりと妻につぶやきました。
 世の中では教育論として、「短所を直すより、長所を伸ばす。」と考えるのが一般的ですが、今の私にとって、短所と弱さとの戦いが大切なことです。自分で言うのも変ですが、私の長所は体が丈夫であまり病気をしたことがなく、小学校の時から大学まで休んだことがありません。高校の時は「皆勤賞」をいただきました。ですから若い頃は「真面目だ、根性がある」等と評価されたこともあります。
 話は変わりますが、10月の体育の日に教会でサッカーの紅白戦がありました。前半は組織力に勝る我が軍が3点リードし、楽勝と思われましたが、後半は若さと勢いに勝る相手側に1点差に詰め寄られました。
 終了直前、相手が放った同点シュートを私がハンドの反則で防ぎ、PKとなりました。次に、若手エースストライカーの蹴った強烈なPKシュートをベテランキーパーが片手にボールを当ててクリヤするスーパーセーブがあったところで試合が終わり、我が軍が1点差で勝利しました。
 ・・今でも遅くありません老骨(サッカー年齢)に鞭打って奮闘し、ピンチを防いで勝利に貢献した私とゴールキーパーにMVPをください。・・<ジョークです。>またハプニングもありました。相手の蹴ったボールが私の目に当たり、メガネが壊れ、真っ暗になり、一瞬失明したかと思い、恐る恐る目を開けましたが、何ともなく顔に傷がないか見てもらい、そのままプレーしました。この場合、仮に傷が残っても私は相手を責めたり恨んだりはしないと思います。
 しかし体ではなく心の傷の場合は違ってきます。相手を責め、恨み、立場上責めることができない時は心が暗くなり、頭から離れません。あるときは行動にもあらわれます。
 ここに私の弱さと戦いがあります。
 今、教会の分科会伝道会のひとつである三浦綾子読書会で学んでいる三浦綾子著「氷点」は原罪がテーマですが、同じ位ゆるしが大切だと私は思います。以前ある兄弟に仕事上の金銭トラブルがあって相談したところ、相手会社の非を認めた上で「このことは忘れなさい。」という表現で助言してくださいました。
 若い頃クリスチャンホームに育ったとはいえ、教会から離れ、無知だった私はある時説教を聞き、感動し、自分も救われたいと思いましたが、同時にそんなすごい人間(当時はそう受け取りました)になれるのだろうか、自分にはできないとも思いました。しかし、以前この同じ巻頭言に書かせていただいた私の救いの証のとおり、そのような私も救いに与ることができました。
 それから41年がたち、わかったことはすごい立派な人間になることではなく、私にとって今大切なことは、日常生活の中で「このことは赦しているだろうか、またその逆のことをしていないだろうか」と考え祈ることです。それで兄弟の助言を受け入れ、「赦す心−−忘れること−−」を心掛け、祈っていこうと思っています。
 42年間勤めた会社も残り1ヶ月で退職となりました。様々な思いが浮かんでくることであり、問題、課題も多い時ではありますが弱さに勝ち、心が喜びと感謝に満たされて与えられた仕事を全うしたいと願う昨今です。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)