同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 日本のキリスト教界の沈滞理由を問う(29) —

「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」
(マルコ12:30)
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」
(マタイ6:33)

 「私は集会には行かないけれども神を愛している」と思っている人は、決定的な誤った考えに陥っています。キリスト教の集会、礼拝、伝道会、祈祷会、その他各教会が営んでいる聖書研究会など様々な集会があるでしょうが、神はそれらの集会に<特別に>来てくださっているのです。
 神が<特別に><そこに居られる>ということがあります。イエス・キリストを信じ、救われて新生の恵みに与った人の<内に>は聖霊・・神ご自身・・が住んでいて下さいますし、教会・・建物ではなく信者の集まり・・に<特別に><神がおられる>のです。次のみことばがそれを明らかにしています。「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられる・・」(Iコリント3:16)「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(教会にはイエス・キリストが満ちておられる)」(エペソ1:23) 集会のある時にこそ、そこにイエス・キリストがおられます。神を愛する人は、神にお会いしに出かけていくでしょう。
 集会は、私たちに共通なテーマであって取り上げやすいので話題にしているのです。集会出席を確保するために、<教会の近くに住む>というように、私たちが神を愛するときに、生じてくる様々な課題に、それと同じように<適切な手段、方法を考えて>実行するようにとお勧めしているのです。これを深く考え、その手段を見出すことが「知性を尽くして神を愛する」こと、それを実行することが「力を尽くして神を愛すること」なのです。
 先に述べたように、私たちの行動を左右するものがたくさんあるわけで、それらひとつひとに対処しなければならないのです。 仕事が阻害要因なら、仕事のスケジュール管理や、仲間に便宜を図ったり、仕事上なにかでよくしてあげる・・仕える・・ことをする必要もあるでしょう。 集会だけでも数えきれないというほどのテーマがあります。同様に信仰生活の様々の問題の中に「信仰の課題」を捉えそれに勝利していかなければならないのです。ひとつ一つの信仰の課題に、その原因となるたくさんの要因があるわけで、その要因に対処するよい手段方法を見出し取り組まなければなりません。 何が信仰の課題であるのかを捉えること、その対処の方法を見出すことには「応用力」が必要です。それを身につけるなら、他の方々の証しが、皆さんの力になります。それには、前に述べたように、それらの証しと自分を対峙させて考察することです。