同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~小さな教会に生きる~

石井 和幸

「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです・・・ しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」
(ヘブル11:13,16)

 私の義父であります、基督兄弟団山形教会役員・屋島正機兄は昨年12月24日、神のみもとに召されました。69歳でありました。私は、家内との結婚が与えられて以来、7年という短い間ですが、信仰者である義父と主にある交わりができたことを大変感謝しております。私にとっては、小さな教会を守る義父の姿がとても印象に残ります。年末年始や夏休みの折に、山形教会の礼拝や祈祷会に出席することが許され、今こうしてこの年の歩みが本格的になろうとするときに、山形での義父の教会生活を思い起こしながら、家庭建設、教会建設・宣教という使命の具体的な営みを祈りつつ図ろうとしているところであります。
 私は、初めて山形教会の礼拝に出席したとき、「この教会は休まる暇がない」と思いました。私の所属する仙台の教会は礼拝出席者数が50人ほどで、礼拝の司会は2ヶ月に一度くらい、また礼拝の祈祷もそんなに頻繁に順番が廻ってくるわけではありません。ところが、山形の教会は、主なメンバーが牧師家庭と屋島家、それに年老いた姉妹や求道者が数名・・・といった規模のため、礼拝の司会はほぼ毎週義父が務め、必ず礼拝のお祈りも主なメンバーが毎週指名され、礼拝後は『アパ・ルーム』と銘打ってその日のメッセージを全員で分かち合う・・・という様子でありました。ですから、教会に1,2回しか来たことがない求道者も、自ら進んで集会後会堂掃除を行うような、家族的な雰囲気がありました。集会においての讃美も、仙台教会の礼拝に比べると小さく、奏楽者が自ら讃美しないとうまくリードされていかないときもありました。とにかく、たった一人出席者が増えるだけでも全然違う、とても感謝なことでありました。私の娘が、「歌いつつあゆまん」と讃美していた声を義父が講壇から聴いて、とても喜んで感謝していたこともありました。義父は教会の会計を担い、義母は特別礼拝、特別集会の案内ハガキを家庭にて一生懸命作成しているときもありました。遠隔地の信徒や求道者への訪問を牧師と一緒に行い、教会に来会した求道者やゲストを心からもてなした義父と義母であります。ときには、赴任して間もない牧師をお花見やスキーに誘ったり・・・ということもされたと伺っております。
 ・・・そんな姿は、私にとって大きな励ましであり、また刺激となりました。私は、ともすれば、礼拝のお祈りでさえ、「どうか、今日は調子が悪いので司会者さん当てないでくれ」と思ったり、なんとか奉仕の責任を負わずに済まないものか・・・と時に考えてしまったりすることもあります。義父も、弱さや欠けがなかったわけではありません。けれども、聖書にもありますように、「時が良くても悪くても」山形の教会を守り、牧師に仕え、どうすれば教会が発展していくか常に祈り、考えていた義父でありました。
 山形へ帰省の際、私は義父が一日3回つとめる食前の祈りに和しました。心のこもった丁寧なお祈りで、私たちや子どもたちと過ごせる時間を率直に神に感謝しておりました。やがて娘が大きくなると、食前の祈りを娘が担当するようになり、義父は孫の祈りを顔をくしゃくしゃにして喜んでいました。今こうして、義父と私が会話をするとき、なんの話題がいちばん盛り上がったか思い起こしてみると、温泉につかりながら、いつも教会建設について、義父が労苦を分かち合ってくれたことであると思います。そして、親である私たちがときに失敗しつつも牧会を受け、孫が教会のなかで主の恵みによって育まれていることを、手放しで喜んでいた義父でありました。 専任牧師が不在となってからは、教会建物、敷地の手入れをし、また礼拝での奨励も当務されました。
 私たちの教会の山本光明牧師は、「専任牧師がいなくなって、お義父さんが自分で講壇に立たざるを得なくなった。それは本当に良かった」と私たち夫婦に語ってくださいました。私が『先生、何故ですか?』と伺うと、「だって、時が良くても悪くても、講壇から自分の家族に向かってキリストの十字架を語らなければならなかったんだ。自分はあれが好きだ、嫌だ・・・という話ではない。メッセージをいやが応でも語るために、自分を神様の前に常に向き合わせて、整理する必要が出てきたんだ。そうすることによって、誰それじゃない、自分の証とメッセージを家族と山形の教会に残すことが出来たんだ。召される前にそれが出来たのは、本当に良かったと思うよ」と語ってくださいました。先生の言葉を心に刻みながら、私たち家族が義父の葬りに携わることが出来、証が立てられ、神に栄光を帰することが出来ましたことをとても感謝しております。
 12月28日、山形教会今年最後の礼拝にて機会が与えられ、ヨハネの福音書2章を開いて、イエス・キリストから召命を受けてから、たった3日しか経っていない弟子たちがカナの婚礼にて仕える姿を学びながら、34歳で救われて間もなく、紆余曲折しながらも、教会に仕えた義父の信仰、また私たち夫婦の歩みを証させていただきました。無理とも思える現実の中で、目に見えないものを信じる信仰を持ち、69歳・・・もう一線を退いても良いような最近まで、トラクトを配り、家族の救いのために祈った義父の信仰を受け継ぐ表明をさせていただき、礼拝に集った皆さんとともに神の前に新たなスタートを切ることが出来、神に感謝したことであります。
 なお、時がよくても悪くても、遣わされた場所で夫婦で祈りつつ歩みたく思っております。残された基督兄弟団山形教会のことも、皆様の祈りの端に加えていただけましたら幸いです。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)