同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 宝のような教会キャンプ ~

石井 和幸

「すると、その人は、『導く人がなければ、どうしてわかりましょう』と言った。」
(使徒8:31)

 9月22~23日、シルバーウィークと呼ばれたこの時に、私たちの教会では恒例の「教会キャンプ」と呼ばれる1泊2日の修養会が、今年も館ケ森高原で行われました。私は、今年も森田初実姉とともに成人クラス分科会の1グループを担当しました。今振り返っても、参加した方々の赤裸々な証し、信仰告白を通して、主なる神が宝をおいて下さる恵みを実感し、感謝を覚えることであります。  
 今年の分科会、私たちのグループは、教会の年間主題聖句(使徒8:31)から「宣教の担い手として」というテーマにさせていただきました。事前に、主任牧師が語られる礼拝説教、聖書を学ぶ会や家庭集会で教えていただいたことを振り返ったり、主任牧師から許可をいただいて、恵泉キリスト教会 会津チャペルに出向き、開拓伝道に携わっておられる牧師ご夫妻のお話を伺う機会も与えられました。また、野澤兄からお借りした、パゼットウィルクスの「救霊の動力」という本を読むときが与えられ、幸いな本との出会いに心から感謝を覚えました。なかなか「教会キャンプの準備」という課題がなければ、構想があっても何も進展しないような毎日を送りがちな私でありますが、このような準備の機会が与えられたことを感謝しました。
 同じグループの担当者である森田姉も、積極的に事前の学びに加わって下さいました。事前に、私がお聞きした会津チャペルの開拓伝道についての戦いや苦労について、分かち合う時を持ちました。姉妹は、荒川聖泉教会の出身で、荒川教会で見聞きした山本岩次郎牧師のメッセージと証し、また山本光明牧師の歩みが心に浮んだそうで、「私にも是非、学びをさせてください」と申し出て下さいました。(山本岩次郎牧師は主任牧師の祖父であり山本光明牧師の父であります。)姉妹は同労者で連載された野澤兄の「日本のキリスト教界の沈滞理由を問う」を読んで、本当に真実に備えをしてくださいました。  
 1回目の分科会は、森田姉によって、家庭のなかで、家族に対し、子どもに対し真実に仕えることの大切さが証されました。「子どもにとって魅力のない信仰の陰には、きっと信仰が「考え」だけで「信仰による生活がなされていない、理念と行動が違っている」こと、親の言葉と行動が一致せず、不真実に子どもが失望してしまうことにならないように「私もいま、子どもの救いと成長を祈りつつ、緊張感をもって取り組んでいます」とお勧めをされました。また、野澤兄に「家内(野澤靖乃姉)と伝道について」という題で証をしていただきました。野澤兄はとても分かりやすい資料を配ってくださり、12年前に天に召された野澤姉の信仰と主によって潔められた品性・その歩みを振り返られました。また、野澤兄姉宅で開かれ、山本嘉納牧師が1年目のときから営まれた家庭集会が、地域の宣教のために用いられ、教会につながる前段階の役目を果たしていた様子も伺うことができました。また、野澤姉が営まれていた薬局についても証がなされ、姉妹のライフワークについての分析、振り返りも伺うことができました。何より、伝道に対する意志・意欲、救われなかった人の滅びを嘆き悲しむ姉妹の姿も知ることができ、感動と刺激を得ることができました。
 2回目の分科会、最初の一時間は、キャンプ前に配られ、事前に参加者に書き込んでいただいたアンケートをもとに宣教についてディスカッションをするときを持ちました。
「救いを受けてほしい・教会に誘いたい」と祈っている人はいますか?という問いに、皆さんが赤裸々に祷告をする姿がありました。また、「伝道会で求道者が認罪を覚えたが、それ故に次の週から教会に来なくなった。認罪を覚えた日に救いに導くべきでした・・・」と振り返られた兄弟があり、ここでは書けないような失敗談、実例も紹介してくださいました。また、大学生の兄弟は、「普段の学校生活では、なかなか心の底まで互いにさらけ出して、人の本質まで語り合うような交わりにならない」という悩みを打ち明けてくれました。実は、私が学生のときもそのとおりで、社会人であっても同じ悩みを抱えていることを思い、互いにみことばによって促されることがいかに大事か改めて感じました。
 また、これからの宣教について話をした時に、「子どもが主にあって憩える場としての家庭を構築できるように」というお勧めをいただき、ある兄弟が「若い方々が献身をして働き場が与えられるために、具体的に祈り、主の導きを仰いで取り組みたい」と告白されました。ある姉妹方は、「息子たちに結婚が与えられたら、なお教会の働きを陰で支え、若い方々のバックアップをして、賄いをしていく立場を喜んでさせていただきたい。」「シニアにはシニアでできること、シニアだからこそ気づくことがある。野澤姉のように、隣人に心を配って、愛をもって教会の器官として、ふさわしい役目を担わせていただきたい」と告白されました。(あぁ、どおりで今年、あのコンサートで、あの集会で裏方として本当にいろいろなところに心を配って、積極的に仕えておられたな、告白されたとおりに、行動されていたんだな・・)と、私はとても感謝をおぼえました。「いかに主からの喜びに満たされて奉仕にあたることが大事かという証もなされました。
 最後に、今の教会における宣教のポイントを、①継続的な宗教性の確立 ②人格と人格の交流 ③「私」が主役の宣教 ④牧会と聖霊の満たしによって与えられる志・・・という4つの視点から発題(まとめ)をさせていただきましたが、私の発題も不要と思うくらいに、幸いな信仰告白と証がなされた分科会でありました。
 森田姉との事前の学びで何度も確認し、感謝したことは、私たちの教会で長年なされてきた信仰継承の営み、導きが、未信者への伝道という点においても同じであること、だからこそ、なお子どもたちとともに、真実をもって神と教会に仕えていきましょう・・・という結論でした。
 私自身足らなさを覚えながらのキャンプ期間でありましたが、神がたくさんの宝のような恵み、生きた証を備えてくださったことに感謝し、主から与えられた志に結実が与えられるように、祈りつつ励んでいきたく思っております。

 「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい」
(ピリピ2章12~14)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)