同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 真剣勝負 ~

石井 和幸

「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」
(Iコリント 9:24-27)

  2012年、サッカー対外試合で負けたことがない我が教会野球部に、新しい対戦相手を探していたところ、盛岡聖書バプテスト教会(近藤愛哉牧師)と盛岡みなみ教会(大塚史明牧師)のメンバーが、求道者、知人を誘いつつ『モリモリフットサルサークル』というスポーツの集いを毎月欠かさず続けている・・・という情報を知り、我が教会は、盛岡に出向き初めて『モリモリフットサル』のメンバーと対戦しました。『また勝てるだろう』と思っていた仙台のメンバーは見事に負けてしまい、それ以来、目の色を変えて毎年『モリモリフットサル』に対戦を申し込むことになりました。盛岡聖書バプテスト教会の近藤牧師も、従来『楽しんで交わること』を第一目標にしていたフットサルの集いとは違い、仙台の教会との『真剣勝負』の良さ、『真剣勝負をした上での主にある交わり』の尊さを実感されて、昨年からは『盛岡と仙台、ホーム&アウェイでやりましょう!』と提案してくださいました。私はてっきり、過去に東京の教会等と野球の交流試合をしていた時のように、春に盛岡で、秋に仙台でそれぞれ試合をする・・・というつもりでいたのですが、近藤先生は『いや、2ヶ月、3ヶ月もインターバルを置いたら面白くないでしょう』と提案され、昨年、今年と10月に盛岡、11月に仙台で試合を行うことになっています。
 10月11日、盛岡に出向いてのフットサル試合、開始前、近藤先生が『今年で4年目ですよね』と言われ、盛岡のメンバーも相当意識して試合に臨んでいることがわかりました。 ・・・この日を迎えるまで、中心メンバーである兄弟は、『盛岡との試合、いつに決まりましたか?』とほぼ毎週欠かさず私のところに確認をしに来ました。限られた時間のなかで勝つための練習をするのみならず、過去のビデオを見て相手を研究することもしたそうです。そして山本牧師に監督をお願いして、戦術や体力面をチェックしながら選手交代を行う・・・といった徹底ぶりで、何より『勝ちたい!』という気持ちが最後まで切れずに今回、初めて盛岡に勝利することができました。盛岡の近藤牧師は試合後、非常に悔しがりながらも、『この交わりが30年続くといいですね』と言われ、小さな子どもを持つ私はとても感謝を覚えました。
 実は、主にあるチームで取り組む『真剣勝負』の空気を実感 したプログラムが10月はもう一つありました。それは、25日に仙台市内のコンサートホールで行われた、我が教会の若い兄姉が中心となったバンド『Exodus』と『ミルフィーユ』の伝道コンサートです。彼らは毎年コンサートを行い、その備えのために多くの時間と労をささげてこられたのですが、今年は昨年までと違うことがありました。それは、より真剣・真摯な姿勢が客席まで伝わる・・・というところにありました。昨年後半、メンバーが次々とイエス・キリストの十字架による新生の恵みに与り、『愛する人をコンサートに誘って、イエス・キリストの福音を伝えたい!』という強い気持ちがあらわになったのです。プログラムの一つ一つに、準備の段階から一生懸命に取り組んで来られたことがわかりました 。歌はもちろんのこと、楽器それぞれの演奏の仕方、動き、表情・・・それらが強く私の印象に残っています。そして、招かれた来会者がコンサート全体を通して大きな拍手を送っていたことも私の心に残りました。それは、新来会者の「時間をさいてコンサートを観にきて本当に良かった!」という気持ちの表れのように私に映りました。
 『真剣勝負』・・・私自身、ともすれば本当に上っ面だけ、付け焼き刃の処理のみで物事を進めやすい、(本当に真剣勝負しているのか?)と思われてもしょうがないような信仰生活を送ってしまいがちな者ですが、気の緩みやブレているところをいちばん察知するのは子どもたち、また社会生活をともにする未信者であることを覚えます。欠けが多い土の器であろうと も、『真剣勝負』のなかに、主が豊かな備えをしてくださり、歩みをともにしてくださり、勝利に導いてくださることを信じて、主の前にへりくだって歩む大切さを改めて覚えました。
 30年続く真剣勝負を目指して・・・それには子どもたちもともに主が備えてくださる『真剣勝負』のなかに与り、成長が与えられなければなりません・・・冒頭の聖句にある通り、『ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者』にならないために、私自身も真剣に歩んでいきたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)