同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 牧師家庭の日曜日は母子家庭? ~

石井 和幸

「監督は神の家の管理者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、けんか好きでなく、不正な利を求めず、 かえって、旅人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。」
(テトス 1:7-9)

 5月末のある日、「牧師家庭の日曜日は母子家庭」・・・ということばが私の耳に入ってきました。ある教会の牧師夫人が話したことばで、一部のキリスト教会ではちょっと有名なことばのようです。日曜日の牧師は朝から終日教会に仕えることで忙しく、牧師家庭の子どもは夫人が終日世話をしなければならない、自教会ならまだしも、主人である牧師が前の日から他教会の奉仕に招かれると、それこそ土日はずっと夫人のみが子どもたちを見ることになる・・・という状況を表したことばなのだそうです。この言葉を聞いた時、ちょっと驚いたとともに、私たちの教会とは逆だなぁという思いになりました。 
 先生方ご一家は、まず子どもたちがイエス・キリストによって救いを受け、教会に生きるために、ご自分のこどもたちとの関わりを優先されました。一例として、夕食の時間を自ら守り、家族で食卓につくことを大切にされました。現今の教会では、日曜日部活に励む中学生・高校生のために早天礼拝や夕拝をもつ教会もあるとのことですが、私たちの教会では、バンドによる音楽伝道や、野球・サッカー・スポーツジム・剣道・・・といったあらゆる活動を部活のかわりに教会のなかで行うことを長年行い、牧師自ら若い方々とともに汗をながす姿勢を今も貫かれておられます。もちろん、そのような教会を構築するためには、まず牧師のお子さんたちが教会のなかで生き生きとしていなければならず、そのことを強く意識しながら先生方は牧会されてきたことを私は伺いました。
 また、私の記憶が許すかぎりでは、日曜日に山本牧師が(合同礼拝を除いて)他教会の奉仕をすることは一度もなかったように思います。他の教会や超教派の集会で奉仕する場合は、基本的に山本牧師が単独ではなく、ご家族で招かれた場所に出席される姿をとられており、私にとっては印象に残る姿であります。

 さて、今回初めて「牧師家庭の日曜日は母子家庭」ということばを耳にしたのですが、この言葉が印象に残ったのは、私自身の5月を振り返ってみた時に、子どもたちを振り回してしまっていたことに気づかされ、胸に突き刺さってきたからです。
 先月の同労者にも書かせていただきましたが、家内が4月から私の隣で仕事をするようになり、日中は夕方まで長男を幼稚園に預ける、場合によっては両親に子どもたちを託す場面も生じてきました。生活の変化にともない、子どもたちにも少なからずその影響が出ていることを目にしていつつも、自分たちのやりたい予定を忙しいスケジュールの中にさらに組み込んでしまい、疲れが溜まったこともあって、5月中旬には一家で胃腸炎やインフルエンザに倒れることになってしまいました。言い訳をしようと思えばいろいろ思いつきます。表題に挙げたことばも、ともすれば「しょうがないこと」として捉える人も多いと思います。けれども、何が一番優先されるべきなのか、自分のやりたいことを優先してはいないか、問い続けることが折々に示されている中で、私たち夫婦は深く反省させられました。
 子どもたちは、示された神のみ旨に対して、親は「真実な対応」をしているのか、それとも「自分勝手な対応」をしているのか、ちゃんと観察して、「じゃあ自分も親の姿をみながらこうしよう、ああしよう・・・」と判断していることに気づかされます。 一日の仕事を終えて、家庭に戻るとそこは皆の憩いの場になります。その良さを感謝しつつも、私たち夫婦にはなお、生活が変化するなかにあって神を恐れ、家庭のなかで緊張感をもちながら宗教性を構築しつづけることが示されています。
 なお夫婦で神の前に遜り、神のみ旨に生きる姿勢を貫きたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)