同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 神を第一とすることを学ぶ —

森田 初実

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
(マタイ6:33)
「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」
(ルカ13:24)

 今年与えられた御言葉です。
昨年、11月に次男が救いに与りました。多くの祈りと、先生方の愛の中で育てて頂き、導きの中にあり、心から感謝しております。
 本当に教会の方々の愛があり、先生方には忍耐して頂きました。主牧先生ご夫妻には、多くの関わりをして頂いておりますが、老先生の光明先生とも、次男は二人で過ごす時間が与えられ、大変愛して頂きました。彼にとって、これらの多くの愛を通して、神様の愛を知る時になったと思います。子供達三人が、それぞれ救いの経験を頂き、大いなる恵みを感謝するとともに、ますます、私自身も神様に喜ばれる、ふさわしい者になりたいと願う者です。
 子供達が救いに預かった時、その導きは三人三様です。同様に私にとっても三人の子供達との関わりは、それぞれ違いました。一人の子供と関わる時、私にとっても、自分の弱さ、足りなさを示され、その戦いも、三人とも違う者でした。三男は、私に常に反発していました。本当に涙する日々が多く、祈る日々でした。次男の時には、「もしかしたら、この子供は、教会と私たち家族を捨てて、出て行ってしまうかもしれない。」という思いをさせるような言動に思い煩う者でした。しかし、このような弱さ、足りなさを持つ私に、三人の子供達との関わりの現場を与えてくださった神様は、常に私を助け、守り、導いてくださいました。でもわからなくなったり、どうなんだろうかと、思う時に私に婦人伝道師の先生が声をかけてくださったり、また牧師先生の所へご相談しに行ったり、共に問題一つ一つに向き合ってくださいました。
 それは、子供を導くにあたり、又、私自身も神様を第一にするということを、大切にすることで、守られてきました。子供と向き合い、何を優先していくのかを、常に問い続けられました。優先するものが、子供と私が違う所にあったので、私が第一とする優先すべき神様を、子供達にも獲得してもらいたいと、立ち続けてきました。神様と共に生きる幸いを、子供達にも、知ってもらいたかったのです。しかし、もし子供が、神様でなく、自分のしたい、やりたい道を選んでいった時に、私はどうなるのだろうかと思いました。私も振り返る時に、そこには自分の罪深さを思い知らされます。しかし、私も、イエス・キリスト様の十字架の血潮によって、新しいいのちを頂けた者であります。それでも、私の心根は奥深く、性分、気質が見え隠れしています。子供達との関わる現場を与えられたことによって、私を少しずつ変えていってくださり、私の信仰も確かなものへと、決意をさせていただくことができました。それはたとえ子供が、神様を選ばず、教会や私から離れていったとしても私は神様を第一とする決意が持つことができますようにと。神様と共に歩みたいのですと。このように願うことができるようになるまでに、神様は私に、子供達との関わりを通して学ばさせて下さいました。そして、神様を第一にとすることが、私の信仰であるということを、子供達の前、弱さのある私ですが、示し続けていけました。そして子供達を、神様にお委ねすることができました。
 先日のコンサートで、次男が神様のために大きな声で讃美をし、心からの証を皆の前で、喜んでしている姿をみて、私は涙が溢れて止まりませんでした。
 四月から、私たちの教会から一人の青年が献身者として、東京に学びに行かれました。私の子供達と幼い時から、多くの時間を共に過ごしてきた青年です。彼が救われた時、この教会のために、自分を捧げていくという決心をされ、私はその時に、私の子供三人がこの青年と共に、教会を立てていくことになることを願いました。そのためにはまず、私の子供達にも救いが与えられることを、強く思ったことであります。献身をされている青年が東京で、学びがどれだけ訓練の中にあるか、幸いな中にあるかを、毎週文面となって掲示板に貼られます。私は読むのが楽しみです。そして尚も祈ります。子供達が神様の前に、栄光を帰し、喜んで仕えています。私もますます、神様の前に、愛する者達の前にへりくだって喜んで、仕えさせていただきたいと願っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)