同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— STAP細胞をハーバード大学が全世界に特許出願 —

 しばらく前に、小保方晴子氏の名前とともに、STAP細胞なるもののニュースが駆け巡った。はじめはもてはやしたが、彼女を取り巻く人々の態度は一変し、さんざんなバッシングになった。そして、彼女の研究業績は存在しなかったものとされた。
 ところがここにきて、米国のハーバード大学がSTAP細胞でとりあげられたものと同一の内容の(さらに広い権利範囲で)特許を全世界に出願し、特許権を得ようとしていることが報じられている。日本では存在しなかったとされた技術内容が、存在する確かな証拠を得ていることを意味している。確かな証拠がなければ、特許を得ることはできないのである。
 奇妙なことに、日本のマスコミはこの件に関してまったく報道しようとしない。
日本の権利となってよかった技術が、米国のものとなったのであって、もっと騒いでもよさそうなものだが。
 STAP細胞の技術は、ノーベル賞をもらったIPS細胞の技術にまさる有用性のある技術である。その理由は、その細胞を作り出すことの容易さと・・IPS細胞を作り出すためには高度の技術、テクニックが必要であるが、それを必要としない・・、また細胞の万能性に優れる点である。
 IPS細胞も、STAP細胞も、それをもとに、個人のDNAをもった体のあらゆる臓器をつくることができ、拒否反応のおきない移植用の臓器が作れる可能性がその最大の利点である。つまり、胚細胞(受精卵と思ってよい)と同様の、これから分化していくもとになる細胞ができるのである。

 さて、いままで報じられている情報をもとに本件の内容を推理してみよう。

 1.小保方氏の実験分担
 小保方氏が実験した試料は、リンパ細胞であって、山梨大学が提供したものであった。その試料に小保方氏がSTAP化処理をし、初期化現象を生じた細胞を山梨大学に返し、山梨大学がそれをもとに、実際の臓器を作り出す作業を分担した。
 
 2.論文が発表され、公となるまで上記体制で作業が進められ、その作業を担当していた人々は、何も疑っていた様子はなかった。小保方氏の記者会見の様子などを見るとき、本人が偽ったり、疑ったりしていることは全く感じられなかった。また実際に、山梨大学で細胞を分化させて臓器を作る研究をしていたのであって、一連の実験内容が存在しなかったとは結論できない。

 3.論文の不備の指摘内容は、手が加えられた画像を論文に掲載した点が中心であった。小保方氏の主張は、存在しなかったのではなく、鮮明にしただけであるということであった。 

 4.再現実験に成功しなかった。
 この点について、次のような疑問が生じる。つまり、最初に山梨大学で提供した試料がたしかなものであったか否か、誰も議論していないのである。
 再現しなかったということは、山梨大学が提供する資料を変えた・・はじめの試料に混入していたものが、混入しなくなったと考えるのが自然である。
 山梨大学が提供したはじめの試料には、リンパ細胞の他に、リンパ細胞を作り出す幹細胞が混入していたが、騒ぎになって、再現実験をすることになったため、厳密に抽出したリンパ細胞だけを提供したのではないかと疑われる。

 5.この疑いから推論されることは、STAP現象を起こしたのは、リンパ細胞ではなく、リンパ細胞を作り出す幹細胞であったということである。

 幹細胞について、少し説明しよう。
 受精卵が分化して、人間の体が作り出される仕組みは、胚細胞が分裂し、幹細胞ができる。幹細胞というのは、それぞれ骨格を作る幹細胞、神経を作る幹細胞、血液を作る幹細胞、それぞれの臓器をつくる幹細胞など、があって、体の全組織は、まず幹細胞ができ、幹細胞は細胞分裂して、一方はたとえば神経細胞になり、もう一方はおなじ幹細胞のままである。それで細胞分裂を繰り返すと、次々と神経細胞などそれぞれの臓器が形成される。
 分化して、それぞれの幹細胞になったものは、もとの胚細胞にはもどらない、これがいままでの常識となっていた。

 この分化した幹細胞が、ある種の処理によって、胚細胞に戻るというのがSTAP現象の中心点である。
小保方氏の実験では、弱酸による処理ということであったが、ハーバード大学では、そのような処理全部をまとめて、ストレスを加える処理としているようである。

 6.小保方氏の論文の誤っている点は、リンパ細胞が初期化されたと理解していることであると思われる。
 幹細胞を試料として、実験するとよいのではあるまいか。骨髄液には多くの幹細胞が存在することが知られている。

 以上はただの推理に過ぎない。関係者に声も届かないが、また実験をしてみればよいのにと思うのである。

 小保方氏に対する周囲の人々に感じることは、「妬み」につきる。
「ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。」(マタイ27:18)