同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 将棋指 —

 かつて
♪ 吹けば飛ぶよな  将棋の駒に
  懸けたいのちを  笑わばわらえ
  ・・・・
といった歌が流行ったことがあった。
 先日、山形県酒田市出身の新進気鋭の、阿部健次郎という将棋指がテレビの番組にゲストとして出演していた。この人は、昨年羽生善治四冠、渡辺明竜王・棋王の二人に勝ったそうである。将棋に興味のない人には、何のことやらさっぱりわからんと言われそうだが、羽生、渡辺のふたりには1回でも勝ったら、将棋界の話題になること間違いない大物なのである。
今時の棋士は、パソコンを使う。阿部健次郎六段、タブレットに自分が指した将棋全部の棋譜が入っているそうで、「良くても悪くても、この指した内容が、私の将棋人生です。」と言っていた。
棋譜というのは、指した将棋の1手1手の記録である。
将棋指にとって、自分の将棋人生が全部ここに記録されているという点に、心がとまった。
 若いときから信徒説教をさせられたが、そのとき先生から、
「自分はどう信じているのか語りなさい。」と言われたものであった。
しかし、だんだん年が上がってきたら、「信仰によって、自分はどう生きたか語りなさい。」
ということが信仰者のテーマであると自分で思うようになった。
 それで、努めて、自分は「このように生きた」と明らかにするようにしている。
 キリスト教界の大物たちは、自分ではなくイエス・キリストが見えるようにと心がけて、自分を語らないかも知れない。そのように考えている人々には、自分を語る人が、おのれをひけらかしている、と見えるかも知れない。
だが、自分が生きたことのない、そう考えただけとかそう思っただけの信仰や、聖書を勉強しただけの信仰を語っても空しい。
 ヘブル人への手紙11章には信仰の勇者たちが記されているが、「誰々はこう生きました。」という記事の羅列である。
 ネヘミヤはこのように言った。
「私はこのようにしました。私の神。どうか私を覚えていつくしんで下さい。」
(ネヘミヤ記5:19,13:31)

自分もネヘミヤと同じように、「私はこのように生きました。私の神。私を覚えていつくしんでください。」と言える者でありたいと思う。