同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 税金の話 —

 年明け早々であるが、消費税を上げるなぞと騒いでいるから、税金のことでも考えてみるか。若い頃は、政治も経済も関心の外で、あまり注意を払わなかった。しかしいつの間にか、ふーんこんなものか、との見識が自らのうちに生まれてきた。
 世の中のことであって、真理というものではない。今、世の中にこれが正しいといって受け入れられているものも、時が経つとすぐ変わっていってしまう類のものである。その辺をご承知のうえお読み頂きたい。
 この問題を考えるに当たって、<自分の財布>と<社会の財布>という2種類の財布を想定するとよい。社会の財布は、国の税金いわゆる所得税から、県民税、市民税の地方税、国民年金、社会保険あるいは国民健康保険などとられるもの一切合切である。自分の財布からは直接的に恩恵をうけるが、社会の財布からもなにがしかの恩恵を受ける。

・敗戦後の日本に適用されたシャウプ税制
 戦後の日本を経済的によくしたものに、
1)日本人は犯罪を犯さず(少なく)、そのため治安がよく、約束事を守る。
2)勤勉である。
3)シャウプ勧告による税制
ということががあったと考えられる。
 シャウプ税制の中心は、所得税を中心とし、それに物品税を加えた、高所得者に重く課税する累進課税制度であった。
 法人税はむしろ軽くした。シャウプは、法人の利益はいずれ、株主に配当され個人の収入になるから、法人税で企業に枷を掛けるよりよいと考えたらしい。
 累進課税とは、これは本当の税率でなく、例えであるが、年収100万円の人は無税、年収1000万円の人は20%課税で税金を200万円納める、年収1億円の人は、40%課税で税金を4000万円納めるというようにすることであって、今の世の常識では、これが公平なのである。
 シャウプ税制の始まった当初は、正確でないが最高税率は80%にもなったらしい。
 松下幸之助が、収入から税金を高率でひかれるので、「皆さんのために働いているようなものですよ。」といったそうである。
 かくして、社会の財布は、富裕の人々が多く負担することによってまかなわれ、今のように足りない・・という騒ぎが起きていなかった。

・累進課税制度の崩壊
 この富んでいる人々が社会の財布を多くまかなう制度を、決定的に崩壊させたのは、誰にも騒がれていない「分離課税制度」にある。株、金融資産の売買、預貯金金利、土地や固定資産の売買、物品の先物取引等々による利益などには、20%の分離課税を納めるだけに税制を変更したのである。 富んでいる人々が何で利益を上げるかは、大会社の幹部が大きな報酬を与えられていることが報道されるが、それはほんの一部のことであって、富をもたらすのは、これらの分離課税の対象となっているものが最多最大である。シャウプがどうせ所得税になるからいいさ、と考えたものが骨抜きになったというわけである。
 ずっと以前に、国民に番号をつけて、所得を全部把握しようということが国会で議論されたが、国会議員の反対多数で、法律は成立しなかった。ここにきて、その番号制は成立することとなったが、もはや時遅し。分離課税制度があるかぎり、所得の合算は富める人々にとって痛くもかゆくもない。国民の番号制は、行政の手間を軽減させるだけである。

・消費税の逆進性(累進課税が反対に進む)
 消費税は、高収入の人も低収入の人も同率で税金を納めるものであるから、不公平税制だと言われる。収入の多い人々が所得税を減らし消費税に変えたがる理由である。本当はすべての売り上げに課税する売り上げ税の方がむしろよかったのである。

・経済のグローバル化の問題点
 経済の世界が国境を越えて世界規模になっていく、いわゆるグローバル化ということが推し進められたのが現今の世界の現状である。「自由貿易がいいのだ」と叫ばれて、世界中の人々がそれに乗せられた。だがこのグローバル化には、「社会の財布」を考えると問題があることが分かる。
 もし、経済が狭い社会に閉じられているなら、その中で経済競争があり、ある人、ある会社が倒産し、他の人、他の会社が栄えても、その狭い社会の中でのことであるので、社会の財布は変わらず、その社会に属する人は、社会の財布の恩恵に与ることができるのである。いわゆる「金は天下のまわりもの」と言っていられるのである。しかしグローバル化は何をもたらすか。
 日本に外国の企業が進出して利益を上げ、その企業のために同業の国内企業が倒産したとする。その企業の利益から、日本の社会の財布に十分に税が納められればよいのであるが、それが納められない構図が起きるのである。まして、税制等の整備されていない、新興国の場合は一層それがおきやすい。
 国境をまたいで活動する企業は、その利益を活動先の国の社会の財布に均等に還元する、グローバルなシステムが必要なのであるが、残念ながらそのようなものはない。今のままの世界が進行すると、ごく少数の人々に、世界中の富がますます集中するようになることだろう。つまり、富める国と貧しい国の経済力の差は、グローバル化によって一層大きくなるのである。そして、その少数の人のいる国以外は、貧しい社会の財布を持つことになる。それ故、無制限の競争に全世界を晒すよりも、それぞれの国の必要に答える秩序ある貿易が守られ、その国の企業活動が守られる方が社会の財布のためにはよいと考えられる。

 社会の経済システムについてこういう考えを持つ人もいるよ、と皆さんの記憶の片隅に入れておいていただきたいと思う。 しかし福音に戻って考えるなら、今富を持っていなくとも安心なされ。この世の富は、天国の富とは別物である。
「自分の宝は、天にたくわえなさい。」