同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 車がオーラを発する? —

 「車がオーラを発する」ってそれなんのこと?
 車を運転しない方には分からない世界にきまっているので、そういうかたはこれを読んで「ふーん。そんなもんか。」と思っていただければよい。
 片側二車線、三車線ある道路を進んでいく。すると隣の車が、「そっちの車線にいきたいっ」とオーラをだすのである。こっちは「やだ。入れてやんない。」と逆オーラを発する。すると、その車、ウイーンと先に行き、入れてくれそうなところに割り込む、といったわけである。時には気分次第で、「どうぞ」と車間を空けてやる。するとその車はそこに入り、4ウェイ・フラッシャー(これ停車するときにつけるやつ)をチカッ、チカッとつけて、「ありがとね」と挨拶をしてよこすと言う結果に相成る。
 右折、左折、直進もまたしかり。先を行く車は右折したいときは、微妙に右により、左折したいときはこれまた微妙に左による。どちらにも曲がらない車は真ん中を走る。そこに右折オーラ、左折オーラ、直進オーラを感じるというわけである。
 このオーラを感じ取らず、“我が道を行く”運転者もある。その仲間には、初心者はやむを得ないが、いつまでも変わらない「おばちゃん」運転もあげられる。
 車を通して、オーラを感じるが、その発生源は、運転している人間である。人間もオーラを発することは、周知のことである。特に何か際だったことによく用いられることばではあるが、車の車線を変えたいオーラくらいのことも、オーラと呼ぶなら、オーラだらけである。外目に見える人間を、車にあてはめてみると、運転者に相当するのはその人の「心」である。
 穏やかオーラ、熱心オーラ、優しさオーラ、平安オーラ、厳格オーラとかいろいろある。中には、金だすのはいや・・けちオーラとか、何か頼まれても腰のあがらない・・面倒草オーラとかいろいろありそうだ。
 神が嫌われるのは「うなじこわオーラ」、散歩に連れて歩かれている犬が、いやだこっちにいく、と飼い主のつれて行こうとする方向とは別の方向にふんばっているのを時々見かけるが、あの姿がそれに見える。

 みなさん、自分はなにオーラを発しているか、自分を観察してみようでないか。