ショートコラムねだ
— 語感の不思議 —
同じ内容のことばでありながら、表現のしかたひとつで、受ける感じがことなることが多々ある。
「ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。」(コロサイ1:24)という聖書のことばを、自分もそのように生きようと、ためらわずに読む。
だが、讃美に
♪ 受けさせたまいし 十字架の悩みを
主よ、今我にも 分かちたまえ
(折り返し)
汝がため、我生きん これ我が喜び、
みあとを踏みゆかん 我が主イエスよ
(インマヌエル讃美歌318)
と歌うことには、讃美の内容についていかれない、という方もおられることであろう。
讃美歌どうしの比較でも、
♪ 悲しみ尽きざる 浮き世にありても
日々主と歩めば 御国の心地す
おおハレルヤ罪を 消されし我が身は
いづくにありても 御国の心地す
(インマヌエル讃美歌324)
この讃美歌と次の讃美歌を考える。
♪1 人の知らぬ喜びを 我は味わいぬ
川の此方カナンの地は ああ実(げ)に天のごとし
(折り返し)
ああ実に天のごとし ああ実に天のごとし
入りしカナンは我にとり ああ実に天のごとし
2 いま御霊に満たされて 我はまどいなく
常に歌い喜べり ああ実に天のごとし
3 遥か遠き御国より 奇しき歌声の
妙に響ききたるなり ああ実に天のごとし
4 やがて主イエス御使いを 率いて来まさば
その御前に我もあらん ああそこは御国ぞ
(インマヌエル讃美歌328)
皆さんがこの讃美歌の曲を知っているといいのですが・・。
324番はよく歌われるが、328番は歌われない。ずっと前のこと家に帰ったとき私が328番を歌っていたら、母が「昔、聖会のときよく歌ったよ」と言っていた。
「御国の心地す」と「実に天のごとし」は同じことなのだが、「実に天のごとし」といえる心の中の感覚から遠いためであろうか?