同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 『子ども集会 IN サテライトノア』 ~

石井 和幸

『しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。』
(ルカ18:16,17)

 6月19日(日) 仙台聖泉キリスト教会サテライト・ノアにて、「わくわく子どもフェスタ」と銘打った子ども集会を行いました。この集会は、路傍伝道・コンサート形式とは違い、サテライト・ノアの収容能力、特性に沿い、教会全体が直接関わるのではなく、スタッフと対象が限定された集会であります。サテライトでの子ども集会は今回で3回目になりますが、関わる信徒それぞれがいつもとは違った緊張を覚えながら、携わっています。
 事前のPRや案内については、サテライトノア前での掲示板、フェイスブック、また子どもたちが通う学校、幼稚園の友だち、その父兄に直接案内をする形をとりました。長女はクラスの友だちにたくさん小さなチラシを渡して案内をしたそうです。日曜日は家族で出かける用事がある方々も多く、祈りながら、案内をしていきました。当日まで、毎日寝る前に「誘ったお友だちが来てくれますように」と子どもたちと祈るときをもちました。
 当日は、まず集会が始まる10分前に、ある家族3人がサテライト・ノアの前で立ち止まりました。よくみると、女の子が小さなチラシをもっていました。その子は我が家の長女のクラスメートでありました。なかなか緊張してサテライトに足を踏み入れようとしない一家に対し、今年から社会人になった山田汀姉が、膝をかがめ、女の子に目線をあわせて優しく声をかけました。すると、女の子はひょいと、サテライトに足を踏み入れました。やがて、長男の幼稚園で、同じクラスの友だちの妹さん、そのお母さんが来てくださいました。今回、集会のなかでクッキーをつくるプログラムもあったため、女性スタッフは全員エプロン姿、またスタッフは全員ひらがなの名札をつけ、教会学校教師であり、大学で保育を専攻している山本咲姉が集会をリードしました。新来会者、子どもたちは時間がたつにつれ、「安心感」を感じて集会に憩っているようでした。振り付けをともなった讃美タイムは教会の子どもたちが率先し、特に新しく来てくださった2歳の女の子が楽しく踊っていました。紙芝居の時間は、汀姉を中心に、若い兄弟姉妹が楽しく仕えてくださいました。そのあとのメッセージは玉城兄、神の愛を語る幸いなときでした。2歳の新来会者は、集会最後の讃美タイムにまたウキウキして参加しました。紙芝居やメッセージは彼女にとって理解できなかったかもしれませんが、讃美に憩うことができたのは本当に感謝でした。
 最後に、参加者みんなで作ったクッキーをいただきながら、楽しい交わりタイム。私自身、なかなか新来会者の両親に話しかけるも、自分が緊張して硬くなっていましたが、「ねえねえみて!これ僕がつくった『ゴボウ』」・・・その一言で新来会者のお父さんが笑ったのをきっかけに、自然に話しかけられるようになりました。娘さんは、キリスト教の幼稚園に通っていたこと、いつかどこかの教会学校にいってみたい・・・と思っていたこと、そんな矢先、私の娘が案内した小さなチラシをみて、家族で『子ども集会にいってみよう!」と決断されたこと、実は、私や娘と同じ小学校の出身であること、限られた時間でしたが、教会サテライトの場で交わりが与えられたことを大変感謝しました。
 集会が終わり、家内がメールをチェックしていると、ひとりの女の子が、サテライトの前まで足を運んだものの、緊張してそのまま家に帰ってきた・・・といった内容のメールがその父兄から来ていました。それは、集会が始まって5分くらいの時間帯だったそうで、次回の課題として覚えました。
 今回の準備にあたって、当日スタッフを人にお願いしたり、実際に集会前日までの準備を依頼するにあたって、幹事である私たち夫婦の配慮が足りなかったり、後手に回ってしまう部分があり、深く反省を覚えました。また当日集会にて、いろんなところに気を配らなければならないことを覚え、私たちを牧会してくださっている牧師、先生方は日夜本当にどれだけ心を尽くして祈り、仕えてくださっているか、思わされるときでありました。もし許されるならば、この『子ども集会』も近い将来、日曜学校とは別枠の定期集会として、教会の働きとして、豊かに構築されるために励みたいと思いました。また、私たち夫婦が足りないなかにあっても、本当に真心をもってよく仕えてくださった若い兄弟姉妹のご労と賜物に大きな感謝を覚えました。
 神は、どんなとき、どんな場、どんな方法で兄弟姉妹を、私たちの教会の働き人を、福音のために用いてくださるのだろうか? その御旨をなお探り続けるものでありたいと思わされました。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)