同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 私の喜びと望み —

玉城 春恵

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」
(コリントⅠ 1:18)
「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」
(コリントⅠ 12:27)

 今年も速いもので、半年が終わろうとしています。神はここまで教会の歩みを守ってくださり、一人一人の兄弟姉妹を用いて豊かに福音の働きをなさせてくださいました。私は、特に若い兄弟姉妹が福音の働きのために力強く立ち上がり、証をし、賛美をする姿に、いつも励まされ力を頂きます。その姿を見るたびに、私の家庭に与えられている子ども達もこの若い兄弟姉妹達に続く者であってほしいと、そう願います。

 冒頭の御言葉は、5月はじめに教会キャンプがあり、その分科会で開かれた御言葉であります。
 その分科会の中で「喜び」ということがテーマにあげられ、今ある喜び、そして今後何を喜びとして持ち、そのことを実現するために具体的にどう動いていくかが話し合われました。
 その中で救われた若い兄弟が、今ある教会の働きが次世代にもつながるように、教会の野球チームのポスターを作り、他教会にアピールしたいと語る姿、確かな真理の御言葉を次世代に語れるように、今はしっかりと聖書通読に力を注いでいきたいと語る姿、若い兄弟たちが私自身以上に先を見据えて将来の教会の喜びのために取り組もうとしている姿に、大きく心が打たれ、私自身はどう立っているのだろうかと問われたことであります。
 私の喜び、それは与えられている子ども達が救いを受け、教会の中で若い兄弟たちの後について福音の働きに立ち上がっていくことです。 
 私自身、そのことのためにすぐに具体的に動きだせるものではありません。しかし常にその喜びを心に持ち続けながら、今置かれている生活の現場で、一つ一つ神に示されたことに、真摯に従って取り組んでいくことが、私にとって大切なことであると感じています。
 この私をも、キリストの体の一部分として置いて下さっていることを感謝しつつ、なお神の示される道にへりくだって従って歩んでいきたく思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)