同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— フォルクスは残った —

 先日ある兄弟と自動車の話になり、「アオディ」と言ったら、違和感を感じたとみえて、「アウディ」と言い直していた。
 かつてドイツ車は、そのままドイツ語読みで、日本に売り込まれた。それで当時の車は、
 ベンツ(Benz)
 ベー・エム・ヴェー(B.M.W)
 フォルクス・ヴァーゲン(Volks Wagen)
 アオディ(Audi)
 ・・・
だった。
だが日本人、アメリカ人との接触が増えたら、ドイツ車もアメリカ語読みするようになった。私がまだ係員をしていたころ、課長が、ヴォルクス・ワーゲンなんぞと言っていた。もちろんベー・エム・ヴェーはビー・エム・ダブリュー、アオディはアウディとなった。なぜかベンツはベンズとは言われない。面白いのはフォルクス・ヴァーゲンで、ドイツ語とアメリカ語のちゃんぽん読みとなり、フォルクスワーゲンとなった。それで「フォルクスは残った」と言うわけである。
ドイツ人の販売会社も、「長いものには巻かれろ!」よろしく、ビー・エム・ダブリュー・ジャパン社、フォルクスワーゲン・ジャパン社、アウディ・ジャパン社と、自ら名乗るようになった。・・・多勢に無勢か?・・
しかし、インターネットで検索してみたら、ありました、ありました、昔のままの名でドイツ車の名を書いているサイトが。

と、まあここまでは前置きで、そんなことはどうでもよい。

 私が幼い時、そう、母の膝に上り下りしているころ、愛唱歌は「エホバはまことの牧者」であった。幼い時から言い慣れた、私の神の名は、エホバであった。それが、文語の聖書をやめるに至ってエホバはでてこなくなった。私の慣れ親しんだ神がでてこられなくなったようだ。
 イエスをジーザスといい、ヨハネをジョンといい、ペテロをピーターといい、ヤコブをジェームズという人々が、なんでエホバの発音は違う違うと強調するのか。
  分からなくなってしまった読み方を、こう読むと決めたいきさつは聞かされている。それを変えなければならない理由はない。正しい読み方だと主張されている方も、本当はこうだろうというに過ぎない。こだわるのはきっと異端の「○○○の証人」のせいだと私は思っている。

 神は、翻訳されたそれぞれの国のことばで、ご自分の名が呼ばれることを是認しておられることは歴然である。