同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 尽くし切る人生 —

山田 行

「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」また「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
(ルカ 10:27)

 50代に入り人生の半分以上を過ぎた感があること、イエスキリストの十字架の救いをいただいて30年を越えて来たこと、二人の子供が救われたこと、などによるのでしょうか、最近自らのここまでの日々を振り返ったり、これからのことを考えさせられることが多くあるように思います。
 御言葉にありますように「旅人であり寄留者である」この地上の生涯の中で、様々な出来事を通して多種多様な人々に出会い、予期せぬ出来事にも遭遇して来ました。新たな経験、非日常的な経験に戸惑ったこともありました。後半の25年間は、愛する家族が与えられ、子供たちの救いのための取り組みが中心の日々だったように思います。その中で、泣いたり、笑ったり、怒ったり、打ちひしがれて立ち止まったりの私を、神はどの様な時もいつも共にいてくださり、時には私の手を引き、時には背負い、共に乗り越えて下さいました。そして感謝なことに子供達も救いをいただいて信仰者として歩むことを許されました。
 無我夢中に生きた若い頃とは違い、今はもうこの一瞬は二度と無いかも知れないと身に染みて感じることが多くあります。だからこそ、その一瞬一瞬に注がれる、この世の何ものにも代えられない神の愛を日々感じながら深い感謝を覚えます。そして与えられた残りの生涯を、心と思いと知性を尽くして神と隣人のために生きたいと願います。「尽くす」とはどういうことか、を思う時、キリストご自身をはじめとして、両親や牧師先生ご夫妻、信仰の先輩方や友が現実の生活をどのように戦っておられるかを間近で見させていただくことは、私にとっての大きな知恵や力となっています。
 私たちの教会は今年創立65周年を迎えます。ここまでは主に信仰の継承と教会建設という課題を中心に取り組んで来ました。そして今教会全体が一つになって、いよいよ福音宣教にも精一杯取り組んでいこうとしています。
 この4月からは一人の兄弟が献身者として学びと訓練のために神学校へと旅立ちました。教会がいのちを保ち続けるために、神が兄弟に召しを与え、兄弟がそれに応えて立ち上がってくれました。このことはまさに教会にとって大切ないのちであり、その姿に私自身も共に立ち上がっていく決心が与えられました。
 私たちは皆いつか天に召されますが、教会はいつまでも立ち続け、信仰が受け継がれ、生きた福音の泉が湧き続けることを信じます。そのことを御言葉の通り「はるかにそれを見て喜び迎え」希望を持って喜び、私自身も尽くし切る事が出来るように歩みたいと願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)