同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— みことばに取り組む —

山本 守

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」
(テモテⅡ 3章16、17節)

 神学校に入学して、約六カ月が経とうとしています。間に夏期伝道期間が持たれ、仙台の母教会の方にも三週間ほど戻り、今は2学期が始まり、もう一度学びの時、また教会に仕える時が与えられています。
  一学期の三カ月を振り返えってみますと、なんともあっという間に時が経ち終わっていた感じがします。入りたての一年生は覚えることも多く、また毎週あるミッションへの派遣や学校での奉仕、学びなどやることはたくさんあります。覚え、慣れたころには一学期が終わっていたといった感じです。ですから一学期を振り返ってみても、「忙しかった」の一言が最初に出てきます。
 では二言目にはといったら、毎週あるミッションでの説教の御用でしょうか。私が派遣された教会では一カ月に一回、月の初めの日曜日に私の説教の御用が与えられました。初めは正直戸惑いました。確かに母教会で父である牧師の説教を聞き、聖書を読んで歩んできました。しかし、実際に自分が一つの礼拝で信者さんに向けて御言葉を語るという経験は、生まれてこのかた持ったことはありません。証しやCS、聖書研究会での短いメッセージはありますが、礼拝の説教はありません。と言うより、行う機会がなかったと言ってもいいでしょう。とにかく、戸惑いと恐れしかありませんでした。
 しかしこのことを同じ神学校の先輩に語った時、先輩たちは口をそろえて「それは神様があててくれた恵みだよ」と言ってくれました。最初は理解出来ませんでした。と言うよりも、正直同情の言葉を求めていた私にはその先輩たちの言葉は、私をもっと悩みの中に入れるものとなりました。「なぜこれを恵みと言えるのか?こっちは恐れ、戸惑っているのに。」この時に私は何もわかってはいませんでした。
 この先輩たちの言葉に気が付いたのは、最初の説教を実際に考えた時でした。最初に自分の説教する日を確認して私がしたことは、あらかじめ決められていた説教する御言葉を読むことでした。私が派遣された教会ではある決まった形で御言葉が決められていて、私にもそれに習いあらかじめ御言葉が決められていました。最初はいくら読んでも何も出てきませんでした。と言っても三、四回読んだだけですから出てこなくても当然だったと思います。しかしその日から始まったのが、御言葉が頭から抜けない日々でした。学びをしていても、食事をしていても、奉仕をしていても。それどころかデボーションを持っている時でも、いつも離れない説教する御言葉。正直、なんでこんなに悩まないといけないのか。思い煩っていなければいけないのかと最初はひどく困惑しました。しかし説教する日が近づくにつれて私に少しずつ変化がありました。それは、聖書に向かっている時間が増えていることです。少しでも時間があると、聖書を開き御言葉を読んでいました。正直ほとんどは説教する御言葉でしたが、それでも聖書を読む時間、回数が増えていきました。最初は恐れと戸惑いが支配していた私の心は、次第に御言葉のその深い深いところに行こうという探求と、真実に取り組んでいきたいという願いに変わっていきました。その時くらいからでしょうか、なぜ先輩たちが口をそろえて神様の恵みであると言っていたのかに気づいたのは。
 説教をすることを通して、私は御言葉によく取り組むようになりました。元々それほど聖書を毎日読むようなものでありませんでしたから、正直自分でも驚きました。確かにこれは神様の恵みでしかなかったのです。もし説教する機会が与えられなかったなら、元々の自分のまま与えられた時間でしか聖書を読んでいなかったでしょう。神様が確かに私を変えて下さったことを経験し、神様のなさる御計画の確かさを知りました。正直最初の説教はどうだったかと言ったら、どうも言えないといった感じでしょうか。
 まだまだ御言葉の深さを知りえていなかったともいえますし、聞く信者さんのことを思い祈るという黙想も足らなかったように思えます。しかし、説教が良かった悪かったといったこと以上に、この時の私に与えられた御言葉への真実に取り組む姿勢は何にも代えがたいものとなっています。しかし、時々忙しさや思い煩いで御言葉に真実に取り組めない時もありますが、この御言葉を通しての神様との関係が日々あり、真実に取り組むことが許されていることを感謝します。
 二学期もまた説教の御用が与えられています。真実に御言葉に仕え、神様と共にいく中で日々新たにされて、これからの献身者としての歩みを一歩一歩進んでいきたいと思います。すべての栄光を神様に帰して、これからの歩みが守られることを信じ祈ります。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)