同労者

キリスト教—信徒の志す—

Q&Aルーム

質問してみよう「聖書を学ぶ会」—69

 エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。」
(列王記Ⅱ 2:10)

 今月も変わらずに御言葉を学ぶときが与えられたことを感謝します。
 今回はまず士師記の18章を取り上げてお話がなされました。今も昔と変わらない問題に直面しています。それは自らの思いや感覚で宗教が行われているゆえに、信仰の形成が中途半端になるとゆうことです。自分の心のいいように事を進めることで建てあげていかなければならないものが建っていかない。このような時代であってもほんとうに人が神を求めるなら、神はそれに答えて指導者を立てて下さる。けれども、このイスラエルの民はそうではなかったために神の報いを受けなければならなかったのです。

 多くの質問がなされた中で特に心にとまったのは冒頭の聖句をあげ、エリヤの独特の言い回しが気になったと言うところでした。この言葉にエリヤの人格を見ることができると牧師は語りました。またエリヤとエリシャの関係を見るときに山本光明牧師と自分をあわせてみることができるそうです。同様にそれは光明牧師とその父である岩次郎牧師も同じだったそうです。近いようできちんとなされた線引きにより曖昧な人柄を見るのではなく、その人の信仰を見て後に続くものも自分の信仰をきちんと確立していきました。それは一代目に当たる岩次郎牧師から現在東京聖書学院で学んでいる四代目の守兄まで続いています。それは言うほど簡単なものではなく、長い道のりを堪え忍んできたからこそのものであると信じています。

 聖書を学ぶと共に教会の歴史に触れることが出来たよい学びと時であったことを感謝いたします。

(執筆担当:山本 更 仙台聖泉キリスト教会会員)