同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 今年一年の締めくくり —

森田 心

「腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。」(ルカ 12:35)

 今年も一年を締めくくる所まで導きの内に歩み、沢山の神の祝福をおぼえる年であったことを心より感謝いたします。

 一年がはじまると、元旦礼拝の中で「御旨を生き抜く者」と教会への標題が与えられてスタートしました。そして週ごとのメッセージが語られ続け、特にこの年はそのメッセージに強く生きようとする証しと働きが有り、教会が大きく神の御旨に寄り添って歩んだ一年であったように思います。そしていつも一歩先を見据え、私達が足を踏み出す信仰を望み続けたメッセージであったことも感謝でした。私も一週の働きの中で聖日だけではなくメッセージを心の内に残すことは、納得して納めてしまうより、示された言葉に向き合い続ける時を持ちながら、歩みの糧となっていたことを思わされます。多くのカギとなる言葉が示されてきましたが、その中の一つに『質』ということがメッセージされました。その言葉を心に留めながら父の事を思い出しました。父は若い頃から私に質の大切さを教え続けました。父の職業がその事に深く関係していることもあったのでしょうが、質はその物ではなく自分自身の質であること、そしてそれを自らのものとする為に緊張感を持ち続けることを教えられました。若い私には、とにかく重苦しいものであり、時間と労力を費やさなければそれをわかることが出来ないことを知らされました。しかし、いつしかその事に身を置き続けていくうちに、広い視野が与えられました。
 メッセージでも質を知ること、維持すること、自分の前に置き続けて、見続けていく信仰の営みの大切さが語られました。そしてその事と結びつけて、変わらない心を持ち続けていくことも大切な要素であることが示されました。
 私の息子は長い間講壇のすぐ前の席に座って、礼拝の間中居眠りし続けた者でした。聞かないと主張し、反抗しているかのように見えるほど、後ろに座る私の心に痛みを与えるような者でした。 しかし、昨年の11月に救いの恵みにあずかり、新しいいのちをいただいた彼のたましいの姿勢は、夢中になって礼拝のメッセージに向き合う者になりました。それは福音の業へも生きた働きにつながるものとなりました。十字架の愛の尊さを強く見せられ共に喜ぶことができました。

 若い方には、わかることももちろん重要ですが、あかりを灯し続けて信仰の歩みを続けていく中で、メッセンジャーの熱を感じられる所に自らを置き続けていくことの大切さを生きていただきたいと願っています。イエス・キリストの御降誕の節季の近づく折、御名を讃美し、感謝しつつ。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)