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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—70

 「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。」
(マタイ 1:22)

 12月に入り、私達の教会では、聖日の説教はクリスマスの記事が取り上げられています。内容は皆さんがよくご存知の、イエスキリストの御降誕です。12月最初の聖日では、この箇所からヨセフにスポットを当てて語られました。
 12月の聖書を学ぶ会では、質問に対する話の中で、山本嘉納牧師はヨセフのお話をしました。「ヨセフにとって、まだあった事のない身重のマリヤを、妻として迎えるという事は簡単な話ではありませんでした。私達、人の常識では考えられないかもしれません。しかしヨセフは、神のご計画の領域でこの事が動いている事を、悟る事ができたのです…」と。
 私はとても常識に囚われやすい者です。聖書のヨセフと比べる事はおかしい事かもしれませんが、私が、常識では考えられない場面で、信仰によって神を信じ、歩んでいく事が出来るかと考えると、とても難しいと思います。
少し極端な話でしたが。私が何を思ったかというのは、ヨセフが信仰によって行ったこの出来事のように、私達もクリスチャン生活を送る中で、小さくとも決断を迫られる事があると思います。その時に、どのような選択をするのかという事の連続で、その結果は大きく変わってくるのだと思いました。
 私事ですが、12月に私の兄がクリスチャンの方と婚約致しました。この婚約に至るまで、兄は自分への喜びを取る事はせず、教会や家族の為に一生懸命働き、地道に仕えてきました。そしてようやく兄が、自らの幸せとする教会でクリスチャンホームを築いていく事に、私達家族は大きな喜びを覚えました。
 私は、主に信頼し道をゆだねきる事のできない、自分の弱さを覚えますけれども、私もクリスチャンとして歩むべき道を、しっかりと歩んでいきたいと思います。

(執筆担当:森田 穏 仙台聖泉キリスト教会会員)