同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 人格と向き合う —

山田 汀

「神はどのような苦しみの時にも私たちを慰めて下さいます。こうして私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」(コリントⅡ 1:4)

 4月に入り新年度がスタートしました。沢山の新しいことが目まぐるしく変化していき、それに対応しなくてはならない忙しい時期かと思います。そんな中でも神様が私の心に平安を与えて下さっていることに感謝しています。
私は福祉施設で障がいのある方々の生活介護をする仕事に就いて7年目になります。まだまだ利用者の方との様々な関係の中で日々考えさせられることが多いです。特に3月から4月は環境の変化、職員の異動などがあり心が不安定になる方も多いです。精神障害を持っている利用者の方は毎日その日の体調によって行動や発言が全く違うということもあります。3月はどんな新しい職員が来るか不安だという利用者の方からの相談が多く、4月に入ってからは新しく来た人との距離感やどう関係を築いていくかで同僚、利用者それぞれから相談を受けます。ちょっとしたことがきっかけで揉め事が起き、大きな事態に繋がってしまうこともあります。
 今春、私の職場には新卒の女の子が入りました。先日、彼女の前で私の担当している利用者が他の利用者を平手打ちしてしまうということが起きました。私が何故そのようなことをしてしまったのか平手打ちをした利用者の方へ話を聞くと、「新人さんはいけないことを注意できないから、私が代わりに注意してあげたの」と言葉が返ってきました。休み時間が終わりの時間なのにテレビを観ることをやめない人を新人の職員が注意しなかったから代わりにその利用者が注意したとのことでした。私はその手を出した利用者には、そういう時は職員さんがきちんと相手に伝えるので大丈夫であることと、当たり前ながら暴力はいけないことをお話ししました。その利用者の方はきちんと私の話を受け入れ理解してくれました。相手に謝罪もしてくれました。それはやはり今までの彼女と私の関係があるからだと思います。新人の子に後ほど話を聞くと「どうしていいかわからなかったです」とのことでした。
 マニュアルの様な解決策はいくつかありますが、人格同士の交わりですのでどれが正解かということは難しいと思います。私は自分が新人だった頃を考えると、やはり同様なことが起きたら今のように対処は出来なかったと思いました。やはり最初は恐れの方が大きかったのではないかと思います。私自身この仕事に就くまで決して人との関わりが得意でもなく、むしろあまり周りの人には興味を示さない者でした。しかしそんな私でも信仰者として生きていく中で、神様は教会学校の子ども達との関わりや福音の働きを通して、隣人の人格に興味を持ち愛していくことを教えていてくださいます。本当に歩みの遅い者で未だに人格との関わりで恐れを持ってしまうことも多々あります。しかし、その「恐れ」を目の前にした時にいつも神様に咄嗟に祈っている自分自身がいます。こんな私の咄嗟の短い祈りでも神様は受け入れて助けを与えてくださることを感じています。
 こんな私でも自分の力ではなく、神様のゆえに助けられ強められているからこそ、何度も打ちひしがれても前を向いて進んでいけるのだと思います。神様がそうしてくださっているからこそ、私の周りには私を助けて下さる人格が沢山置かれていることを感じます。家族、教会の方々はもちろん、職場でもクリスチャンではありませんが、私のことを助け励ましてくれる方々が与えられています。神様が周りの人格を通して私に恐れの代わりに平安を与えて下さり、整えてくださっているからこそ、少しずつですが、苦手と思っていた人格と向き合うということの出来る者と変えて下さっていることを覚え感謝しております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)