同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 娘と山本光明先生 —

齋藤 遥

「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らの為に都を用意しておられました。」(ヘブル 11:16) 

 4月24日仙台聖泉一本杉キリスト教会にて山本光明牧師の召天記念礼拝が持たれそれに家族で参加させていただきました。上記の聖言は記念礼拝の際に開かれた聖書の一節です。
 記念礼拝の前日の土曜日、私は4歳になる娘に明日の予定を伝えた時に「光明先生の事覚えている?」と確認すると「うん…」と覚えているような、いないような返事でした。写真を見せたり、当時娘が先生とどのような関わりがあったかを一緒に思い出しました。その一つに覚えたての似顔絵を描いて病床に一人で届けたこと。加えてコロナ禍の前は多く土曜日教会の昼食に招かれて関わってくださいました。様々な思い出を娘は何となくの様子でしたが、私たち家族の中でひとつひとつ思い出されました。私個人の見方でありますが、教会の中で光明先生は赤ちゃんや小さい子どもだからとおおらかに優しく接するだけではなく、大人と同等に信者一人の人格として厳しく扱ってくださるときがありました。その様に霊的必要に対してはそれぞれの信仰の状態に合わせてくださり、どんな時も愛を持って接してくださったと改めて感じさせていただきました。大切な時だからこそ関わる親たちにも指導してくださったりお話を聞いて下さったりと惜しまずに時間を費やして下さいました。
 記念礼拝では、光明先生のジムの知人の方々や家族の方々が思い出を話されました。その中では普段の先生の人柄も語られておりました。お話しされる方々を通して私自身、求道者の方々に対しても家族に対しても変わらない熱心さをもって福音の働き、信仰の継承に取り組んでいた先生の姿に改めて触れさせていただき挑戦を覚えました。そしてその神の働きの中に私たち家族も入れて下さっていたことを見出します。今改めて思い返すと厳しく迫られることも多々ありましたが、私たちクリスチャン家庭の成長と娘たちの救いを心から望んでおられた先生の愛と献身の心でした。先生が私たちの家庭にも必要なメッセージを惜しみなく語り続けてくださったことに心から感謝を覚えるとともに、与えられた信仰の糧を蔑ろにすることなく、なお励まさせて頂きたいと改めて思わされました。
 余談にはなりますが、礼拝後の墓参はそれぞれが自家用車で現地に向かうことになっていましたが、私たちは道を間違えたために予定よりだいぶ遅れて到着しました。そんな中にも関わらず娘は急に「たんぽぽ~」と言って霊園に咲いていたものを摘みに行ったので思わず叱ってしまいました。「光明先生にあげるの」と言われ、そのまま足早に飛び込む形で記念撮影に混ぜていただきました。その時、娘はお墓の上にそのたんぽぽを置いていました。墓参自体初めてのはずの娘が先生の為にお花を摘んだことにその時は驚きを覚えただけでしたが今、改めて考えてみると再び娘の中に光明先生の存在が現れた瞬間だったと感じて神の御業に深く感謝いたしました。そして、子どもは親が思っている以上に考えていること、感じていることがあるのだと話されていた光明先生の姿が思い出され結びついたひと時でした。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)