同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 神のご計画 —

齊藤 優子


「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ 8:28)

  私は昨年の12月に60歳の誕生日を迎えました。世の中で言えば一区切りとも言える年齢なのでしょうか。ひたすら走り続けている私にとっては、もうそのような年齢なんだなという自覚が今年はとみに感じました。今2つの仕事をこなしながら、集会を守らせて頂き諸集会、分科会伝道会など今年も走り抜けていくことになるでしょう
小さい頃は兄弟の中で一番身体が弱く母はよく心配していたそうですが、今では一番強くなっているようでびっくりしています。このような私をここまで守り続けて下さった神の憐みに感謝をさせて頂きました。
信仰の歩みにおいても良き節目の時として振り返らせて頂いたことです。
私にとって信仰の歩みの中で大切な神との関わりをもたせて頂いたことが2つあります。
一つは救いの時でありました。神を信じて生きていくと言う意思を告白し、ここから信仰の歩みを始めさせて頂いたことであります。当時関わって下さった先生方を始め教会の兄弟姉妹の労と忍耐に心から感謝しました。自分がいかにかたくなで自分本位であるかを学ばせられ、同時に罪によって神から離れさせ、いつの間にか自分の思い自分の力により頼もうとしてしまうのか、畏れていかなければならない事ですが。
私自身も中々気づけないものがありました。
2つ目は私にとって自分を知る自分が何者であるかを深く思い知らされる出来事があったことです。それは主人が起業しました事業において不満があったことから心が追い詰められた状態にあったことです。確かにやらなければならないことが多くあったことです。
主人に対しての言葉にもとげがあり、その思いを何度かぶつけたこともありました。
主人にとっては示されたのは意味があることを信じておりましたから、平静にいつも通り進めていました。この頃主人には表情が顔に出すぎると注意を受けていて、それも癇に触るというのでしょうか。
神はそのような私を捉えて下さいました。自分の思いに縛られ主人を責め、いつの間にか自分を見失っている姿に愕然としました。そのことがあって私は神の前に祈らせて頂きました。
その時自分の中に高ぶりがあったことを示されました。そしてここからまた信じて歩むことを神が後押しして下さり、神がいらっしゃることを確信として与えられました。
この2つの出来事は私の信仰の歩みの中で大きな経験であったことです。事業を通して経験させて頂いた神との関わりが一つの流れの中にあったことを思うときに主人に対しても感謝しております。

今年の祈りの課題の一番始めは長男夫婦に二番目の子供が与えられること、そして孫たちの為にも家が与えられることを祈っておりました。今年この祈りが叶えられ、特に二番目である“結”の誕生に心から感謝しております。
この孫たちのために尚、祈ることができ、健康が守られて益々働きが豊かにできるように励んでいきたいと願っております。
聖霊に満たされて生きることが様々な課題の中にも(悲しく思われるようなことでも)揺るがされない力を与えられていることは、その示しが原動力となっていることです。

  民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。
  あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
  神は、われらの避け所である。
 (詩篇 62:8)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)