同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 聖書信仰-17 —

「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(テモテⅡ 3:14-17)

 義の訓練について、ダビデを取りあげましたが、続いてソロモンのことを考えて見ましょう。
 神が彼の義の訓練のために最初に彼を試されたのは、
「その夜、神がソロモンに現れて、彼に仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」」(歴代誌Ⅱ 1:7)
と言われたことにありました。
ソロモンの答えは、
「知恵と知識を私に下さい。」(同 1:10)
でした。
彼の目的はよかったのです。
「民を正しく裁き、王としての役目をはたすため」でしたから。ですから神は彼の願いを「許容」されました。
 けれども、彼が求めたものは「世の知恵と知識」でした。ですから、世のひとびと、神を畏れない世の王たちにももてはやされたのです。
それは、アダムが試されたことと似ています。「いのち」を取らないで「知識」をとったのです。
 ソロモンが王として先ず求めなければならなかったものは、「世の知識」ではなく「律法を知ること」であり、神の正義(公義)によって国をさばくことでなければなりませんでした。そうすればそれによって、民は神の前に正しく生き、「いのち」を得ることができたのです。
 彼が求めたものは、彼の生涯を守りませんでした。彼の生涯には、神から知恵と知識を頂いたソロモンが、なんでこんな愚かなことをするのだろうと思うことに溢れています。
 ご存じのように、彼はダビデよりも遙に多くの妻妾をもちました。ダビデについても述べましたが、それ自体王のしてはならないことでした。(申命記 17:17)
その妻のなかに、エジプトの王パロの娘をはじめ、諸外国の王家の女がいました。
外国人を娶ることは、王だけでなく民すべてが禁止されていました。(申命記 7:3)
「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。 彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。」(列王記Ⅰ 11:1-3)
ソロモンは妻たちの望みを叶えるために、偶像を建て拝むことを許容しました。それで自分も偶像礼拝者になりました。
「主は二度も彼に現れ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。」(列王記Ⅰ 11:9)
神が直接ソロモンに禁止を告げられたのに、聞かなかったのです。
 彼は馬を求めて家来をエジプトに派遣しましたが、それは律法で禁じられていました。(申命記 17:16)
また王は馬を多く持ってはなりませんでしたが、パロはエジプトからたくさんの馬を買い入れていました。(同 17:16)
 王は、祭司たちに律法の書を書き写して貰い、それをいつも読んでいなければなりませんでしたが、ソロモンがそうした様子はありません。
「彼がその王国の王座に着くようになったなら、レビ人の祭司たちの前のものから、自分のために、このみおしえを書き写して、自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行うことを学ぶためである。それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることがないため、また命令から、右にも左にもそれることがなく、彼とその子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。」(同 17:18-20)

 神はソロモンに富もお与えになりました。
もし彼が神がお与えになったもので満足していればアブラハムと同様、祝福された富の持ち主であり得たでしょう。けれども、彼の子レハブアムの時に明らかになってきたように、彼は神が与えられた以上の富を集めたと考えられます。それは、民への重税と過酷な労働によってもたらされたものでした。
「(王は)自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。」(同 17:17)
民がソロモンの子レハブアムに言ったことはこうでした。
「それで、ヤロブアムはイスラエルの全集団とともにやって来て、レハブアムに言った。「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」」(列王記Ⅰ 12:3-4)

申命記に王の繁栄の道が書かれていたことは明らかですが、ソロモンはいのちの道である律法を選ばず、世の知恵と知識を求めた結果を得たのです。
 残念ながらソロモンは神の義の訓練を身につけることはありませんでした。