わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!
- 父の救いpart2 -
森田 初実
「この世と調子を合せてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ 12:2)
この御言葉は、父が仙台に来てから、ずっと父自身が大切にしている御言葉です。
父は、福島県会津若松の山奥から中学校を卒業すると同時に上京しています。
その後、教会に導かれて救われ、必死になって働いてきました。当時は、鉄工場で溶接の仕事をしていました。若かった父でしたが、いろいろな経験をし、今の時代ではなかなかあり得ないような所も通ってきました。
それは、父一人だけではなく戦後ということもあり、時代がそのような背景だったと父は語ります。そのような中でも父は、神の憐みによって救いが与えられ、クリスチャンである母との結婚も導かれ仕事も独立し、教会生活に励み信仰が守られていました。
仕事の独立をしてからは、母と二人三脚で仕事に勤しみ、神と教会に献げることを喜びとし生活が守られていきました。そのような時に、ある人から転職の話があり、その仕事の内容はサラリーマンでした。当時、父のしていた仕事からすると楽だし、給料もいいし、より魅力的な仕事の内容だったそうです。父は、そちらに転職した方が良いのではないだろうかと思ったそうです。でも、まず教会へ行って先生に相談してみようと思い、すぐに教会を訪ねたそうです。父は、婦人伝道師が対応して下さると思い、教会の中で待機していましたら、山本岩次郎牧師がいらして、婦人伝道師は留守ですと言われたそうです。早速、岩次郎牧師にその旨をお話しましたら、牧師は電話の所まで連れていって「今すぐ断りなさい。」と話されて、その時は「えっ」と思いましたが先生とお話をし、その結果がどうであれ従うと決めていたので「はい、わかりました。」と言い、電話をかけて相手の方へお断りの返事をすることができたそうです。父は何度もその話を私にしてくれます。そして、もしあの時、自分の思いで魅力的に感じた方を先生に相談をせずに勝手に決めていたら、今のようにはなっていなかった。培った溶接の技術の仕事を母と二人三脚ですることで教会の近くに家が与えられ、多くを献げることもでき、集会出席もできたと神の導きに感謝する父です。
父は決して世の中の人達と生きていく上で、器用な人ではありません。得意なものは何もないと自分で言います。教会に導かれていなければ、どうなっていたかわからない。自分には何もない、何もできないことを認めて神の前に明け渡すことが今ある祝福につながっていると父は神に感謝しています。
私は両親の信仰をみる時に、まだまだ足りなさを覚えます。当たり前でない日常生活を大切にし、父と共に生活できることを感謝し、尚、私も謙り父の信仰を見い出させていただきたいと思います。そして父同様にそれを生き抜かせていただきたく願います。