同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 3世、4世キリスト者の時代 —

「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」(テモテII 1:5)

 今年の3月22日、日曜日の夕方、仙台市内のホールを借りて、教会の若者の音楽バンドのコンサート(伝道会)が開かれました。出演したバンドのメンバー全員がキリスト者3世と4世でした。その重みというものを考えるとよいと思います。
 日本のキリスト教は、人口比率1%弱がずっと続くという低迷状態が、なぜいつまでも続いているのでしょうか。日本のキリスト者たちが伝道に不熱心で人が救われないから、そうなっているのでしょうか。そんなことはありません。多くの人がその隣人のために熱心に働き、多くの人々が救いに導かれています。決定的な隘路(あいろ)となっている問題は、教会に集う信者が入れ替わってしまうことにあります。不信者の家庭に育った人々の中から救われた人の多くが、数年経つと教会を去っていってしまいます。さらに、親は信者となっても、その家庭で育った子どもたちが信者とならないことが非常に多いのです。それが更に、三代目、四代目となるとどれだけ減ってしまうことでしょう。
 信仰の家庭に育った人は、ひとたびしっかりと救いの恵みに与ると力のある信者になります。不信者の世界から救われた人と、信者の家庭から救われた人では、「結実」(本は売り切れです。「結実」名のホームページに掲載されていますから、同労者ホームページ下欄のリンクでアクセスして読んでください。)に書かれているように、ことばに例えるなら、不信者の家庭から救われたひとは、馴れない外国語を習って話すような信仰をし、信者の家庭から救われたひとは自国語を話すような信仰をします。その差を不信者の家庭で育った人には理解できないかもしれません。しかし、事実そうなのです。日本に力あるキリスト教を育てようと思ったなら、信者の家庭に育った信者を増やさなければなりません。そして、信者の家庭に育ち、単に教会の中にとどまり続けるのではなく、真の罪の悔い改め、キリストに対する救いの信仰、新生の経験をしっかりさせていただくことが大切です。それなしには、敬虔のように見えても実のない信仰になり、教会全体を「世」にしてしまいます。
 どうしたらそれが実現できるのか。子どもを育ててみると、その困難さが分かります。そこに先生から教えをうけること、互いに学び合ってそれを実現できる力・技量を身につける努力を営々と続ける必要があります。それに、祈りとともに教会をあげての手段方法の工夫がなされなければなりません。仙台聖泉キリスト教会の青年たちの3世、4世のバンドは、その工夫の題材を提供しています。

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