同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— ♪ ディ ゲダンケン ジント フライ —

 今回は、口が軽いじゃなくて口調は軽いが、中身は少々重いのであります。
 筆者の教会では、このところ進学する若者が次々と続いている。それで、進学した若者たち、きっとドイツ語なんぞに悩まされていることだろうな、なんて考えていたら、
<♪ディ ゲダンケン ジント フライ>
なんぞということばがメロディつきで、浮かんできた。
ドイツの民謡だそうだが、「考えることは自由だ」という意味である。
 蛇足だがドイツ語を習い始めるとまず、「英語はふりがなを付けて読み上げてもさっぱり通じないが、ドイツ語はふりがなを読み上げるとドイツ人に通じる」と言われる。タイトルを皆さんが読み上げると、ドイツ人に通じるよ、というわけである。
筆者とドイツ語との出会いは、この若者たちと同じ、学校で第二外国語の単位をとれ、とらないと3年に進級させないといわれて、渋々と学んだというわけである。この進級させない・・というのは強烈でありまして、痛い目をみたひとびとの話が伝わってきますが・・。
 下宿の食堂に白黒テレビがあり、そこで3ながらをしたのであった。--決してお勧めできることではないが--食べながら、テレビを見ながら、ドイツ語教科書の辞書引きをしたのである。時はジョン・ウェイン登場の西部劇の時代であった。
 この3ながらが功を奏し、なんとドイツ語でAの成績をちょうだいしてしまった。Aをもらったのは、体育とドイツ語だけで、他はさっぱり。中には再々試験を受け、教授にお情け点をもらって、ようやく3年にして頂いたものもあるという体(てい)たらく。つまりジョン・ウェイン様々であったか。 3年に進級すると、ドイツ語はさっさと卒業して、今はもはや、まあ、白紙まっさらに近いが、ところどころにしみがついている・・くらいか。

 さて、考えることは本当に自由か?
「考える」と「思う」は兄弟分で、くっついて存在するようである。
「主は心の中でこう仰せられた。『・・・人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。・・・』」(創世記8:21)
「イエスは彼らの心の思いを知って言われた。『なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。・・・』」(マタイ9:4)
聖書は人間の善い思いをも語るが、どうも悪い思いの方が圧倒するようだ。 
 教会学校成人科で、ある兄弟が、若いときに牧師に相談にいって考えていることを話したら、「考えるのをやめなさい」と言われたと話していた。
 実りのない考えはことわざ通り「百害あって一利無し」でありますよ。

Valid XHTML 1.0 Strict