同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 文学の中のゆるし —

 小説・童話などの文学作品を考えよう。「作り事はつまらん」といって捨ててしまいませんように。イエスは物事を教えるためにたとえ話をされた。放蕩息子の話、1万タラントを赦されたのに、仲間に貸した100デナリを赦せなかった王のしもべの話などイエスの話は枚挙にいとまがない。同様に作家は、「私はこう思う」ということを、文学作品を通して表現するのである。
 今回は「赦し」というテーマに触れられている2作品を取り上げたい。ひとつは三浦綾子の「続氷点」もうひとつは、ポーランドの作家、シェンキヴィッチの「クォバディス」、それぞれのひとこまである。
 「氷点」「続氷点」の主人公は、陽子という名の女性である。彼女は、生まれていくらもたたないうちに、3歳の幼女が殺された医者の家庭に引き取られた養女だが、医者の計らいで実子として引き取られたらしく、養子縁組の話は話題にない。引き渡した産科の医師は、陽子をその幼女を殺した犯人の娘だといって渡した。やがて大きくなって、「あんたは人殺しの娘」とののしられ、睡眠薬自殺による死を選ぶ。・・ここまでが氷点のストーリーである。
 自殺は未遂に終わり、目覚めた陽子を待っていたのは、陽子を養女として渡した産科の医師の、実は殺人者の子ではなく、夫の出征中にその妻が夫でない男との間に産んでしまった子だという告白であった。不義の子である自分を産んで、すぐに捨てた産みの母を、陽子は決して赦そうとしなかった。陽子はその赦さない自分の心に「氷点」を見るのである。その氷点が溶ける、・・赦すことができるように陽子が変えられる・・これが続氷点のテーマである。内容は本を読んで頂きたい。
 「クォバディス」・・は、<(主よ。)どこに行かれるのですか?>という意味である。ネロ皇帝の迫害下で、ローマにいたペテロが、周りのキリスト教徒たちの勧めで、ひとまずローマから退去、逃亡するのであるが、その道にイエスが現れ、ローマの方向に進んで行かれるのである。それを見て、ペテロは「クォバディス、ドミニ」とイエスに尋ねた。イエスは答えて、「あなたが、十字架に架からないから、私がもう一度十字架に架かりに行くのだ。」と。それでペテロは引き返し、ローマで果てるのである。 この「クォバディス」のメインのストーリーは、退役したローマの将軍の家に引き取られていた、今の東欧にあった国リギアの王の娘で、人質としてローマに引き渡されたカリナ・・リギアの王女なのでリギアという愛称で呼ばれていた・・と、マルクス・ヴィニキウスという名の若いローマ軍の将校の青年との恋物語である。ヴィニキウスはペトロニウスというネロの側近の甥である。この退役将軍の家はキリスト教であった。それで、リギアもキリスト教徒になっていた。作者のシェンキヴィッチは、このストーリーの中に、当時の社会の様相やキリスト教徒に対する迫害などの史実をしらべ、出来る限り事実に近く書いた。そしてその中に、キリスト教は何をもたらしたか、パウロの説教や、いろいろのエピソードを織り交ぜて著している。
 今回の中心ではないが、物語についてもう少し解説しておこう。ペトロニウスが、甥の恋を知って画策し、そんな人質がいるなどということは世から忘れられて、静かに暮らしていたリギアを公の場に引き出してくることから展開する。キリスト教徒の仲間に、ウルススという名の巨人がおり、兵隊たちに護送されるリギアを奪い返して、キリスト教徒の家にかくまうのであるが、キロ・キロニデスが手引きをし、ヴィニキウスをリギアのかくまわれている家に連れて行く。リギアをそこから奪い取ろうとしたヴィニキウスは、ウルススに一打ちくらって怪我をし、リギアの介護を受ける。その結果リギアはヴィニキウスが好きになり、二人は恋仲になる。
 皇帝の后、ポッピアが美貌の青年将校ヴィニキウスに目を付けて、エジプトで侍従長ポティフアルの妻がヨセフにいいよったように、言い寄るのであるが、彼は私には他の誓った人がいると、きっぱり拒絶する。ポッピアはそれを逆恨みし、リギアを捜させて捕らえ、キリスト教徒迫害のひとつとして、雄牛の角の間にリギアを縛りつけ、ウルススにその雄牛と戦わせる。ウルススは他のキリスト教徒同様黙って殺されるつもりであったが、彼はリギアと雄牛を見ると、雄牛の角をつかんでその首をへしおり、リギアを救出する。競技場の観衆の喝采で彼らは生き延びるのである。
 「赦し」について今回取り上げるのは、クォバディスの中に登場する、グラウクスというキリスト教徒の医者と、キロ・キロニデスという名の偽キリスト教徒である。
 グラウクスは偽兄弟キロ・キロニデスによって全財産を失ったばかりでなく、妻子を奴隷に売り飛ばされてしまった。キリスト教徒の間に長く出入りして、すっかり事情を知っていたキロ・キロニデスはローマの官憲(軍)の手引きをし、キリスト教徒逮捕させるのである。
 キリスト教徒迫害のきっかけは、皇帝ネロが旧ローマ市街を嫌って、兵隊をつかって焼き払わせたが、大火となって多くの死者がでたため、民衆の怒りが爆発した。火を付けたのはキリスト教徒だとしてその怒りの矛先を、キリスト教徒に向かわせたのである。キリスト教徒たちは、剣の刃にかけられ、野獣に引き裂かれ、挙げ句の果て、明かりとして火が付けられる・・火刑の柱が明かりとされた・・のである。キロ・キロニデスはそこに至ってはじめて本当に回心し、その火刑になって死に行くグラウクスの足下で、キロ・キロニデスはこう叫ぶ。「イエス・キリストによって私を赦して下さい。」 グラウクスは「イエス・キリストによって、私はあなたを赦します。」と答えた。それが彼の最後であった。
 グラウクスの「赦し」、これが「キリストの赦し」であると、シェンキヴィッチは語っている。